縦社会のメカニズムと日本人のリズム感 ー 対談 ー

縦社会のメカニズムと日本人のリズム感、音の響きとは何か関係があるのでは・・・

有賀 誠門

西洋人とわれわれ日本人とでは、
演奏上のリズム感と音色を左右する響きが
違うんではないか

●民族音楽学者の藤井知昭さんは、数年前に新聞に寄せた「アジア民族音楽の再評価」と題した論評を、次のような書き出しで始めている。

〈不思議なことに、日本では長い間、日本の伝統的な音楽から離れることが学校における音楽教育ということであった。声の出し方や歌い方、旋律やリズム、音の感覚など、伝統的なものはほとんど否定されたといっても言い過ぎではない。とりわけ、音楽家になるには、日本離れすることが必須の条件でさえあった。〉(朝日新聞夕刊、日付不明)

 音楽教育のみならず明治以降の学校教育に課せられた至上命令は、短い時間で近代化を効率的にすすめるために、伝統を断ち切ることであったし、そのような教育を受けて育った私たちが、伝統的な音楽を疎んじるようになったのも、当然の帰結だったといえる。

 価値観からライフスタイルにいたるあらゆる場面で、欧米文化こそが至高なものであるとする信仰やコンプレックスが氾濫するなかで、音楽家にとっては日本離れすることが生きるための必須の条件だったのだ。

 戦争中でこそ、「拝外思想」の裏返しとしての「排外思想」が跋扈したが、敗戦による第二の開国と、その後の日進月歩の技術革新に支えられての国際化の時代にあってなお、脱亜入欧の風潮は根強く私たちを捕えてはなさず、わが国の伝統的な文化やそのルーツであるアジア諸国の民族文化は、依然として遠い存在でしかない。

 だが国際化社会でいま私たちに求められているのは、自国の伝統と文化に誇りと自信を抱きつつ、なお他へ開いた柔軟な思考と感性を持つ、自前の顔である。となると、音楽家としての必須の条件も当然変らざるを得ないはずだ。

 ヨーロッパ音楽一辺倒だったいわゆるクラシック音楽の世界にも、大きな地殻変動が訪れつつある。そのなかで、第一線の演奏家たちは、何を思い、どう自らの音楽を構築しようとしているのか。打楽器の可能性を拡げるとともに、後進の指導にもアクティヴな有賀誠門さんを訪ね、話し合ってみた。

有賀

 ぼくは二十一歳から十八年間オーケストラでティンパニを演奏していたんですけれど、
いまから二十四年ほど前ですが、シャルル・ミュンシュの指揮でボストン交響楽団がラヴェルの「ダフニスとクロエ」を演奏するのを聞いて、リズムと音色がこうも違うのかと大ショックを受けましてね。なんか感覚が違うんですよね。言葉ではうまくいえないんですけど、どうも西洋人とわれわれ日本人とでは、演奏上のリズム感と音色を左右する響きが違うんではないか。その違いがどこからくるのか確かめたくなりまして、アメリカヘ行きました。いまでも忘れられないんですけど、私の演奏を聞いた向うのプレイヤーが、手のひらをフッと吹いて、「お前の音は舞ってっちゃう」といったんですね。ショックでしたね。

―― 吹けば飛ぶように軽いということでしょうか?

有賀

 当っていないということですよ。それから音質がしっかりしてないということですね。
どんなに短い音でもはっきり出すということを徹底的にやれとアドバイスされました。要するにパワー、筋力が必要ということですね。それと、次を予想して手を動かせともいわれました。先を読むということでしょうか。

 毎日練習しかないというような日を送って日本へ帰ってきますと、アメリカ帰りということで、音を出してみろといわれまして、ぼくが何気なくポンとやったんです。もう一人の人も音を出したんですけど、これはもう全然違うということがぼくにははっきりわかりました。

 それから一年ぐらいたったころ、オーマンディが率いるフィラデルフィア管弦楽団がやってきまして、そのティンパニストがタッチ・トーンで音をつくるというので会いに行きました。「お前やってみろ」といわれてやってみますと、「それでいいんだ」といってくれましてね。タッチ・トーンというのは、触れて音を出すということで、たたいて出すのと違って、音を十分に響かせる奏法なんです。

―― アメリカにいらっしゃる前と後とでは、どんな変化が有賀さんの奏法に起ったんです
か?

有賀

 以前は上から下へたたいていたと思うんです。アメリカヘ行ってからは、ティンパニの面がありますね。ぼくは徹頭徹尾上からではなくて面から演奏したんです。

―― スティックを面から上で撥くような感じですか?

有賀
 はい。まず音がどこから出るかというとあいだからです。たとえば両手を打てば、左右の手が触れたあいだから音が出ますね。ティンパニの場合は、スティックと面のあいだからです。で、上から振りおろしても、面から上へというふうにやるととても気持ちがいいんですよ。

――どうしてなんでしょう?

有賀

 実はこれがさっき申し上げたリズム感と響きの問題とも密接につながっていまして、そのころ、どうして向うのオーケストラの音と私たちの音が違うのかと悩んでいて、あるパーティーの席で、民族音楽学者の小泉文夫さんとお目にかかるチャンスがありまして、うかがってみたんです。そしたら「有賀君、それは農耕民族と騎馬民族の違いですよ。全然違いますよ」とおっしやったんですね。

 そこで私なりにいろいろ考えてみたんですが、機械を使わない稲作における人間の動きは、すべてが下向きで、しかも身体は屈折した姿勢を強いられ、すみやかに左右前後に移動するということはほとんど行われませんね。また稲作では、灌漑、畔つくり、収穫まで一人では出来ないわけで、集団の協力を得ることが絶対に必要なんです。

 そこで、「個人の理」よりも「集団の理」が優先し、集団への帰属意識が強く、個性ある考えは異端視されることになるわけです。つまり上から下へのエネルギーが、あるいは強いタテ社会の村のメカニズムが、長年のあいだ私たち日本人を支配してきたわけで、横とのつながりや、下から上へのエネルギーは非常に弱いんですね。

 そのことが日本人のリズム感と出す音の響きと何か関係があるんじゃないか。農耕民族が大地に鍬を振りおろし、一カ所に定住するのに対して、騎馬民族は馬にのって大地を蹴って駆け、移動する。生活のリズムが違えば、音楽のリズム感にも違いが生じるのではないか。農耕民族の末裔である日本人は、打楽器のスティックを上から下へと打つけれども、騎馬民族の末裔である欧米人は、スティックを面につけて離す。打つというより接点を爆発させるといった方が分りやすいでしょう。上から下への動きが圧力であるのに対して、下から上への動きは解放を意味します。

―― なるほど、それで面から上へという有賀さんの奏法が気持ちいいんですね。

有賀

 そうなんですね。この原理は、打楽器だけでなく、弦楽器や管楽器でも同じで、ヴァイオリンも弓を下へ引きおろす動きに対して、弦を張った楽器を上へと動かすことによ
って実にエネルギッシュな響きが得られますし、金管楽器も、唇と楽器の接点の振動具合を「BLOW」というより、「EXPLOSION」させることによって、パワーが得られるんですね。

西洋を立つ文化とすると、
日本は座る文化といえるのじゃないでしょうか。
華道、茶道、書道、みんな座るという生活のなかから・・・・・・

●有賀さんの話を間きながら思い出したことがある。もう二十年以上も前のことになるがアメリカのオフ・プロードウェイで評判になったジェームス・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」の舞台化作品「六人を乗せた馬車」が、赤坂の草月会館で公演されたことがあった。難解ながらもなかなかに魅力的なステージだったが、脚色、演出、主演を受け持ったジーン・アードマンが、日本のダンサーたちのために行ったワークショップで、日本の能と欧米のバレエを比較しながら、大要次のようなことを語った。

 能の動きをみると、両足はすり足で決して大地から離れようとしない。前へ進むときは、内またで、その動きは求心的に内へ内へと向かう。
 バレエはそれとは対照的に、両足は大地を蹴ってボディを飛翔させようとし、外またに開き、ピルエットの動きに典型がみられるように、外へ外へと拡散しようとする。
 
 抑圧と解放のベクトル……彼女の分析もまた日本文化と欧米文化の本質的な違いを鋭くついていた。
 
 有賀さんは、オーケストラの一員として西洋音楽を演奏するうちに、リズム感と響きに私たちの日常性と異なったものを感じるようになり、その原因を探って行くうちに、彼我の文化の違いに突き当ったという。

有賀

 ともかく音楽って、生活の身近にあるものだ、身近なことを徹底的に観察してみようと思いました。日本は畳だ。向うは石だ。生活はどんなふうに違うか。労働も違う。考え方も言葉の発音の仕方も違う。西洋音楽はそういう音の感覚で創られているわけですし、あちらでは音楽が日常のさまざまな場面で、たとえば祭典のとき、狩猟のとき、祈りのとき、葬儀のとき、踊りのとき、嬉しいとき、悲しいとき……に歌われたり演奏されたりして、生活に欠かせないものとなってます。

 楽器の形も美術的な美しさを持ってますし、音符も彼らの宇宙観にのっとって考え出され、すべて自然を利用して、彼らの音楽が成立っているんですね。その背後にはキリスト教の影響もあるし、音楽は彼らの文化財産なんですよ。なかでもオーケストラは、彼らの創造の叡智だと思いますね。

―― その西洋音楽を、背景の文化とは無関係に私たちは移入したわけですから、さまざまなズレが生じない方が不思議なのかもしれませんね。

有賀

 日本もかつては西洋と同じくすばらしい文化を持っていたと思います。日本の家屋では
正座が基本ですね。正座してみると、腰から背すじがピンとして、自然と腹に「気」が入ります。この「気」のつく言葉が私たちの生活にはずいぶんとあります。西洋を立つ文化とすると、日本は座る文化といえるのじゃないでしょうか。華道、茶道、書道、みんな座るという生活のなかから生まれているわけですね。座ったままですと、位置が固定されてしまうせいか、日本では手技のものが多くて、足技はそれほど多くありませんね。家の住み方も違いますね。

 西洋では外と内はつながっていて、靴で出入りしますけど、日本では別で、履物も玄関でぬぎますでしょう。その履物も日本では草履が主役だったんですね。草履の特徴は、大地に吸いつくことであって、上半身が上に引きあげられるという性質はありません。つまり、上半身を含めて身体は下への志向になります。西洋の靴の場合は、かかとで大地を蹴ることによって直立するわけですね。上半身は反動で上に伸び、ひざも足首も伸びます。来日したピッコロ座の俳優たちがセリフの転換のとき、長靴でステージを蹴って拍づけしていたのをみて、身体が上への志向になっているのがよく分りました。

―― 音楽がそれを生み出した文化と切り離せないこと。そして文化もまたそれを生み出した自然と切り離せないということですね。音楽評論家の吉田秀和さんが、ご自分の体験として、八月の晴れた日の午後、軽井沢でウェーベルンの音楽をきいていたとき、突然戸外から野鳥の声がきこえてきて、それによって自分がはいっていた音の空間に穴をあけられたような気がしたと書いていらっしゃるんですね。吉田さんはつづいてもし日本の音楽、邦楽だったらどうだろうかと問うて、伝統的な楽器や日本の声楽の発声、民謡の歌声といった音楽の音が、自然の音そのものではないにしても、自然とよくとけあう響きであり、春の雨、夏の鳥、秋の虫、冬の風といった日本の自然と調和し、共鳴していると答えを出されてるんです。

 ところがそうした日本の音楽を私たちは生活から遠のけて、もっぱら西洋の音楽に耳を傾けてきたわけですね。それで有賀さんご自身がかつてもそうであったように、西洋音楽を完全に自分のものにすることもできないでいるんですからね。

有賀

 おっしゃる通りです。十年ほど前のことですが、ニューヨーク・フィルハーモニーが来日したことがあります。そこにソウル・グッドマンというティンパニストがいたんですが、彼が「われわれは、どんな指揮者が来ようとも、自分たちの音楽をやる」といったんです。いい言葉だと思いました。ともかくやる以上は、その音楽の本質に迫らなくてはいけない。自分自身の音楽にしよう、そう思って、西洋音楽のリズムと響きの秘密を探り、その演奏法をつきつめていきますと、演奏の動きそのものが音楽的リズム運動であることに気づきました。

アフター・ビートを意識できるリズム感を身につけて、一つ―つの音の関係をはっきりと見きわめ、その音群がもつリズムの性格をしっかり把握したら、アナクルーズを認識できます。そうなると、日本人とかアメリカ人とかそんなことは問題ではなくなるんです。

―― たとえば、本場のジャズやウィンナ・ワルツをきいたりして、よく「リズムがかなわない」とか「真似できない」とか言いますね。農耕民族の伝統を背負っていても、垣根を越えることは可能ですか?

有賀

 可能です。大体わが国の音楽家がやっているリズム訓練は、音楽演奏の基本としてだけ
やっているもので、音それ自体、休止、音と音との間……に流れる生命が躍動してこないんです。だから存在感がないんですね。それは結局のところ、身体全体の表現となっていないということなんです。ともかく音楽家の多くはリズムに対しての認識が低く、あまり立ち入りたがりませんね。いかに弾くかというところだけの発想に終っていて、いかに感じるかはあとまわしというわけです。

―― それは、西洋音楽とか日本音楽とかのジャンルを超えた問題ですね?

有賀

 はい。ですから私は、長年すべてに共通するユニバーサルなリズムを創り出したいと考えてきました。動きが創り出すリズム、瞬発力のあるリズム、ないリズム。「裏」を感じさせるリズムこそが、きく人に躍動感を与えてくれるんですね。

―― 「裏」を感じさせるリズムというと?

有賀

 民族音楽の特別なものはさておくとして、躍動感のあるリズムの源は、伸びることであり、はなすことであり、上げることであり、移動することなんですね。伸びるためには縮むことが必要でしょう。縮むということはエネルギーを集めるということです。つまり「気」を集めることです。ダンスのステップ、バレエの運動、ボールを蹴る動きなど、遠くへ、あるいは高く、速くということになると、大変なエネルギー量を必要とします。「気」を集中しているだけに、その爆発力は威力があるわけです。足を蹴ることによって生まれるリズム運動は、蹴る・・・着く、蹴る・・・着くとなり、蹴るを頭としたら、着くがウラになります。バレエの動きも同じで、up‐down,up‐down・・・となりdownがウラになるわけです。指揮者のチェリビダッケが、リズムとはエネルギーの痕跡といったのは、名言だと思いますね。

―― 有賀さんのお話を聞きながら、有賀さんの関心は、民族の文化としての音楽を超えて、人間の営みとしての音楽のルーツヘと向かっているように感じますね。

有賀

 はい。地球の自然保護だってリズムですからね。地球あってこその音楽だと思うし、空問があってこそ音が響くし、酸素があるから生きているんだなあ……その呼吸すること自体もリズムでしょう。人間は動くことによってリズムを創れますし、風景をみていても絵をみていてもリズムがありますでしょう。

音楽をはなれちゃっているかもしれませんけど、音楽的に考えているつもりなんですよ。ミハエル・フェッターという人が、呼吸は音楽だ、意識は音楽だといっていますけど、本当にそうだと思いますね。ですから音楽というのは、それぞれの人がそれぞれのスタイルで持っていたらいいと思います。ということは、その人の生き方ということになるのかなあ。

音楽は人間をもっと上に引き上げてくれるものだと思うんです。
精神の上昇性というか

●有賀語録の若干のメモ。

――もし、指揮者に合わせて演奏するだけだったら、ぼくよりもっと上手な人がやればいい。そう思ってオーケストラをやめました。

――指揮者のシュタインさんを空港に送って行くべく高速道路を走っていて、ふと音って何だろうと考えたんです。そのとき、直感で「光」だと思いました。何で「光」かと聞かれると答えられないんですけど……。

――雨上りの日かなあ、鳩を見ていました。鳩も人問も二本足。鳩は歩くときにティコティコ、ティコティコと、首を二回ずつ動かすんですね。そこで考えつきました。人間も二本足だと。スボーツの動きは蹴ることが多いですね。空手とかボクシングとか。蹴ると必ず戻ってくる。そういう発想で、行く‐戻ると歩いてみると、ジャズ・ダンスがそうなんですね。身体を閉じる‐開く、閉じる‐開く……。

――リズムが悪いという人が多いんですけれど、リズムが悪いとはどういうことか?それは意識の問題じゃないか。

――上の発想、下の発想ということを考え出したんです。音は上へ響く。そこで二元論がありますでしょう、善悪とか。それが自分のなかにあって中心になっているんですね。音楽は人間をもっと上に引き上げてくれるものだと思うんです。精神の上昇性というか。

――毎日が変化のある仕事がいいというので新聞記者になりたかったんです。ところが、小学校の音楽教師だったがんこ親爺に「ダメだ。お前は音楽をやれ。何でもいいから芸大へ入れ」といわれましてね。

――高二のとき、親爺のカバン持ちで上京したとき、ベートーヴェンの第九の第四楽章を聞いたんです。女の人がティンパニをやっていましてね。「オレあれやりたい」といいますと、「あ、チンパニーか」って。長野の塩尻の田舎へ帰ると、さっそくつけもの桶の石をのせる丸太を座敷の真中へもってきて、たたいて練習ですよ。親爺が最初の師です。

日本人の感性で何かできるんじゃないか。
日本人の美意識から
何かが生まれるんじゃないか

●このほど来日したアメリカのコロンビア大学作曲科主任教授・周文中氏は、日本の作曲家たちとの話し合いのなかで、祖国中国と日本の音楽の伝統をめぐり、次のように語ったという。(朝日新聞夕刊83.3.31)

「日本と中国では音楽の伝統に対する考え方がやや異なる。日本は伝統を大切に保存し守っていくのに対し、中国は伝統は変えていくものとの考えをしている」

四年前に来日したフランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロース教授もまた、「フランス社会は、革命を基盤に工業社会に入ったが、文化の伝統的価値を破壊してしまった。しかし、明治維新を通じて工業社会に入った日本は、文化の伝統的価値を破壊せずに今日を築いた」(朝日新聞夕刊、日付不明)と、わが国の伝統継承がスムーズであることを指摘している。

 では、日本人はどのようにみているか。

 吉田秀和氏は、「古音楽の盛況について」の新聞評論で、「日本にはとかく、伝統芸術というと、能でも歌舞伎でも、何世紀もずっと変らず、昔の形を守り続けてきたと、ひとにも言い、自分でも信じているらしい人が多いが、果してどうか?私は、そうではないのではないかと思う。ただし、長い時間のうちに変化があったとしても、それは新しい思考が生まれてきたために、明確な意識の下に変化させられたという例は多くなく、むしろ、保存しようという意志にもかかわらず変った例が少なくないのだろう。芸術家たちが自分を伝統芸術の方にとけこませていくことを心がけていたにもかかわらず、どうしても同じような具合にはやれなくなった。西洋はちがう。新しい時代は新しい生活と考え方と一体になって生まれ、その新しい考え方の持ち主が過去の芸術を愛した場合、過去に向かって自分を投影する。彼らは、一面では日本人よりももっと過去に執着し、過去を捨てまいとするが、それは別の一面で、自分を過去の中に発見しようと試みることを意味する。だから、あらゆる時代は、その時代の一元的な立場から、現在と過去と未来を見ようとしてきたのだ」(朝日新聞夕刊、日付不明)と、伝統の維承についての彼我の違いを指摘している。
 
 また、作曲家として、万葉集などの日本の古典に取材した作品を数多く発表してきた柴田南雄氏は、その著「音楽は何を表現するか」(青土社)のなかで、「日本人と音楽とのかかわりは、昔も今も〈いかに〉であり、〈何を〉を好まない。〈いかに〉巧みに、美しく、おもしろく、あるいは下手に、きたなく、つまらなく、作られたり演奏されたかが関心の的であって、音楽で〈何を〉考え、目的とし、表現しようとするかは視野に入って来ない」とし、その結果、「日本にあっては、すでにある音楽を〈いかに〉巧みに奏し、継承していくかに主眼があり、〈何を〉新たに表現し、作り出していくかは二の次であった」と論じている。
 四氏四様の論議は、ともにいまの日本の音楽状況と、今後の課題をくっきりと浮き上がらせているといえよう。

―― 有賀さんは、ご自分が日本人であるということをどのように意識なさいますか?

有賀

 ぼくは日本が好きですね。いいところがたくさんあると思います。いま、心のなかにあるのは、「日本の美」なんです。礼、作法、自然との関係……。

―― 和太鼓には興味がおありですか?

有賀

 非常に興味があります。ジャズにもフュージョンにもマーチングにもガムランなどの民族音楽にも・・・・いま全方位に向かって興味が沸き上がっています。日本人の感性で何かできるんじゃないか。こうやればいいということはありませんけれど、日本人の美意識から何かが生まれるんじゃないか。

―― レヴィ=ストロースは、「日本社会、日本文明は実に豊かで洗練された1つの見事な鏡だ。この相手としての鏡に、フランス人の姿が映る。そのイメージは日本人と全く違うが、この鏡に姿を映すことによって、自分がよく認識できるのだ」といっていますけど、有賀さんの場合は、西洋音楽という鏡に自らを映すことによって、日本人の音楽家の今後が見えてきたということなんですね。

有賀

 そう思います。ぽくは、野坂恵子さんが好きなんですが、昨年の暮れに、野坂さんの二十絃の演奏を聞きまして、涙が出ましてね。三善晃さんの作品など、新しいものを演奏したんですけど、もう楽器はなんでもいいのではないかと思いました。やはり音をいつくしむということが大切なんじゃないでしょうか。

 ある合唱団の指揮者の方から間いた話なんですけど、音楽の「楽」という字は、仏教の言葉で「願う」という意味なんですってね。ああなるほどなあ、音楽は、音を「願う」なのか、と納得が行きました。ぼくは常に新しい瞬間に身を入れ、いまあるその時を過去へ押しやる、その存在意識がリズム感につながると思っています。

 現在は常に新しいという瞬間への意志こそが、人間の肉体と精神を活性化します。常に自分の位置を変えて思考行動することが精神を新しくさせるのではないでしょうか。

――有賀さんの、日本人の感性に根ざした新しい音楽的世界に期待したいと思います。

有賀

 ある「もの」と「もの」との接点において、ある「もの」とある「もの」を介して変容させる。いかに変容させるかが、人間に与えられた課題だと思うんですね。