このたびストラスブール・パーカッション・グループが大阪フェスティバルに招聘されたことは,実際に打楽器演奏にたずさわる人たち、また新しい音楽に関心をいだく人達にとってこの上ない贈り物である。1971年秋、このグループはオーストラリア演奏旅行の帰途初来日し、東京で一回の公演をもっただけだったが、その時の印象は終生忘れ得ない。
リハーサルを聴くため、当日朝9時30分(公演は2時から行われた)に文化会館大ホールに出かけてみると、もうすでに彼等は幾つもの大きなケースに整然とぎっしりつまったスタンド類を1本1本組立て、無駄口も冗談も言わず、もくもくとただひたすらにステージとバックステージを往復し、セッティングに大わらわだった。メンバーがすべての楽器をステージに運び込んでいるその静かな姿を見ていて、どの様なアンサンブルを見せてくれるのか非常に興味深くなったものだった。
打楽器アンサンブルでは数えきれない程の楽器を必要とするので、そのセッティングにかなりの時間を要するし、他の楽器に比べ、はるかに重労働でもある。またセッティングは演奏上最も重要な事の一つで(1人で多くの楽器を奏するので)並べ方如何では、その演奏の良否を決定する程であり、それは丁度調弦に等しいといえる。
リハーサルはいつ始まるともなく始まり、各曲の主だったところを練習しているかと思うといつの間にか違う曲の練習に入っているのである。一番驚いたことは各々の奏法がまったく同じことであった。例えば、たくさん釣り下げたゴングを2人で演奏しているところなど、打ち方、消し方がまさに瓜二つ、大げさに言えば指の動きまで同じで違うのは顔だけといっても良い。別に2人が合せようとしている様子は全然みられないのである。
彼等が打ち出す音は、生の音でなく、その音の核というか、極点というか、実に鮮明で、洗練され美しい。微妙な響きのニュアンスというより、鋭く明晰であり、 しかも豊かである。一寸のあいまいさ、生半可な妥協も許されない精密機械の様な完璧なアンサンブルによって複雑な現代音楽が、くっきりと立体的に浮彫りにされ.その演奏は実にさわやかであった。
彼等は打楽器の演奏者として名人芸を見せるのでもなく、音に陶酔するのでもなく、あくまで打楽器という媒体を通して新しい音の空間芸術を創り出す純枠さを持っている。オーケストラの一員として活動しながら、この様な立派な仕事を成し得るには強靱な意志力と、行動が必要であり、恐らく厳しい訓練を自らに課しているのであろう。彼等は常に新しい試練を求め、それを克服していく。通常13人の奏者を必要とするヴァレーズのイオニザシオンを6人で奏するのはその一つの証しでもある。
このアンサンブルにとって幸運だったことは、ブーレーズという良き相談役がいたことで、彼の陰の力添えにより、どれだけ新しい演奏の場と、作品が彼等のために提供されたが計りしれない。
今世紀初め、ストラビンスキー、バルトーク等によって従来の管弦楽法がくつがえされ、打楽器に対しても新しい奏法が要求される様になった。一方アメリカ西海岸においても打楽器音楽が、ジョン・ケージ、ルー・ハリソン、ヘンリー・カウエル等によって推進され、楽器とは言えないものが、立派な楽器として存在価値を持つ様になった。
ストコフスキーをして、Mr.Percussionといわしめたポール・プライスは、打楽器アンサンブルのパイオニアとしてその発展に多大な貢献をした。今日アメリカの各大学にはかならず打楽器アンサンブルがある。その中でも活躍の目覚しいのは、マンハッタン打楽器アンサンブル、イリノイ大学打楽器アンサンブル、ロサンゼルス打楽器アンサンブル、アバンギャルダーの集まり、ブラックアース打楽器グループ、トロントのネキサス、 ヨーロッパに目を向けると、ドイツのウュルッブルク打楽器アンサンブル、デンマークのコペンハーゲン打楽器アンサンブル、イタリア、オランダにもあり、日本も非常に盛んである。しかし,ストラスブールに匹敵する程のものは他に見当らない。
さて、今日のストラスブールの打楽器奏者を育てたパリ音楽院のフェリックス・パセローヌ教授の功績を見逃すわけにはいかない。ストラビンスキー等によって一躍脚光をあびる様になった打楽器であったが、それでもつい先頃までオーケストラの中でまま子扱いされていた打楽器という楽器を独奏楽器としての地位向上に骨折った。最近では国際コンクールにも打楽器部門が出来るなど、完全に独立してしまった。今ではあらゆるジャンルの音楽に重要であり、これ程未知の可能性を秘めた楽器はないのである。
打楽器は他の楽器と違い、数多くの楽器を奏するところから、楽器から楽器へ移り事る動きも演奏行為の一つとして重要なポイントになっている。この意味でもストラスブールのグループは21世紀の音楽に挑戦する旗頭でもあり、今回演奏されるクセナキスのペルセファサではストラスブールの神髄を見せてくれることだろう。
(1974.4 ‐第17回大阪国際フェスティバルプログラムより‐ 画像はイメージ)