21世紀の音楽入門
私がオーケストラで演奏活動していた頃、L.バーンスタイン作曲の「ウエストサイド物語」を演奏しましたが、アメリカで聴いていたのと何か違うのです。その「何か?」がわかりませんでした。そう!N響が北米演奏旅行でチャイコフスキー作曲「交響曲第五番」を演奏した時もそうでした。アメリカの友人の父親が「変わったチャイコフスキーだね」と言ったのです。この時もどのように変わっていたのかわかりません。以前から何かしら「違う」ことには気づいていたのですが、どのように違うのかわかっていませんでした。このことを民俗音楽の草分け的存在である故小泉文夫先生(当時東京芸大教授)に伺ったところ、「全然違いますよ!有賀さん。農耕民族と騎馬民族の違いです。有賀さんにはインドのリズムなどがいいのではないかな…」と答えてくれました。
撮影:染谷高司
一方、打楽器奏者として自分はどのような演奏をする人でいたいかという自己証明を探していました。普通の打楽器奏者ではつまらないのです。長いこと考えて、ある日パッと閃きました。「宮本武蔵が相手の額に御飯粒一つをつけ、それを相手の額に傷もつけずに太刀で切った」という、以前父親から聞いた話でした。
素人の私だったらどうするか?太刀を恐る恐る相手の額まで下ろし、上げれば切れるだろうか?これがヒントになり、「そうだ!打ち上げだ」と直感しました。打楽器の演奏法といえば、通常上から下に振り下ろす。そうではなく、逆に下から上に打ち上げる感覚。
1960年代にシャルル・ミュンシュ率いるボストン交響楽団の演奏を日比谷公会堂で聴き、ミュンシュのリズムと輝くオーケストラサウンド、特にティンパニーにひかれたのです。それ以前にベルリン・フィル、ウィーン・フィルも一度聴いていましたが、そこのティンパニストたちとも違う。
そうだ、ボストン響のヴィック・ファース氏のもとで勉強しよう!と横浜から貨客船「康島丸」(飯野海運)に乗って渡米したのです。今振り返れば、指揮者E・クルツ氏との出会いが発端になっているようです。「貴方のティンパニーは違う」と言われ、どこがどう違うのか諸先輩にたずねても答えが返ってこない。「違う」という人にきくしかない。指揮者室に入りたずねた。若造の私を丁寧に迎えてくれ、スコアを前に説明してくれた。そう、スコアの読み方を、歌い方を、音楽をイメージすることを。忘れられないのはショスタコーヴィチ作曲「交響曲第五番」2楽章の冒頭の部分。「ここは、根の張った野草を根こそぎ引き抜く感覚で弾いてくれ」といった言葉です。さらに私に「貴方はアメリカに行きニューヨーク・フィルハーモニーのS・グッドマン氏に習いなさい」と言ってくれたことです。
流れ出ている
何が
何だか知らないが とてつもないエネルギーが
動いている
とにかく動きつづけている
押し出し、引き出し、押しまわし、引きまわし
休むことなく
自分でとめるわけにはいかない
何かに動かされている
とまったら、いやとめたら死だ
息すること すごい
すべてと調和する息づかい、
DURMMINGはあなた次第
有賀 誠門
一年後帰国し、オーケストラ活動に戻りました。私が帰国したら早速、某者がやってきて「どう違うのだ」といってティンパニーを一発打ちました。それを「見て」「聴いて」反対だ、と直感したのです。彼のは普通の打ちおろしだけで誰でも出来ることであり、サウンドも普通なのです。
その頃、フィラデルフィア・オーケストラがE・オルマンディを指揮者として来日していましたので、早速ティンパニスト、F・ヒンガー氏に会い、彼の前でプレイをしました。「とてもいい。私はtouch toneを心がけている」といって、打ち上げ奏法をデモンストレーションしてくれたのです。その時、「ああ、これがフィラデルフィアサウンドを創り上げていたのだ」と確信したのです。あの響きを作り出すのはこれだと。
ヒンガー氏はオーケストラに入る前はNavy Bandでプレイしていたとのこと。彼からUP感覚の基本を教わることになります。手を上げるということはBack (背)すなわち肩胛骨(肩甲骨)の下にある筋肉を使うことだからBackに注意しなさいと…。彼はフィラデルフィア響の後、メトロポリタンオペラに移り、メトロ・オペラで来日した時、「有賀、リズムについてどう考えるか?」とたずねられ、私は「波をイメージしている」と答えました。彼は「私は円運動をイメージしている。波も同じだね」と答えてくれました。彼から得たヒントはその後の私のプレイや考えに多大な影響を与えてくれました。
ニューヨーク・フィルハーモニーが来日した際、当日の指揮者、O氏に日本のマスコミが殺到していました。ティンパニストのS・グッドマン氏が「あれは何だ?」というので、「今夜指揮するO氏です」と答えると、氏は決然と「We play our music! Any conductors No!」と言われた。この言葉は私の頭から離れない。その時私は、いまさら尺八や箏をやるわけにはいかない、徹底的にクラシック音楽の根本を探りあて、首根ごとつかんでやろうと決心したのです。
幸いオーケストラにいたので多くの指揮者、演奏者を観察することが出来ました。
以上のようなことが私の中に入っていて、打ち上げ感覚を日常的に行うようにしようと心掛け、それを日常的なことで証明しようと研究にとりかかったのです。自分自身、かなりの猫背であり、それを直すべく反対の運動をすることにしました。そこで出会ったヨガを始めたことからも、いろいろなことが分かってきました。
単純に考えて、農耕民族は鍬を振り上げ大地に振り下ろし、騎馬民族は、馬に乗り大地を駆けます。これは、すでにリズム感の違いを表しています。農耕民族は定住を主とし、騎馬民族は移住を主とし、では海洋民族はどうなのか?となるのですが…。
ON PARADE OF DRUMMING (有賀誠門企画) 2003年2月東京藝術大学奏楽堂 撮影:冨田晃
人間が生存出来るところは、今のところ地球だけです。寒帯、熱帯、温帯、乾燥地帯、多雨多湿地帯と様々な分け方がありますが、日本には雨期があり湿気の多い地帯に入ります。自然と水を使う稲作が主になるわけです。機械にたよらない稲作においての運動は、すべて下への志向で、身体は屈折した姿勢を強いられることになります。身体をすみやかに左右前後に移動することは殆ど行われません。
我々日本人が日常行う所作の中で一番多いのはお辞儀です。図1の動きは、両足を揃えて頭を前に下げるという運動で、頭を下げると両手も下がり手はひざの前にきます。そのため、背中は丸くなり、お尻が後ろにあがります。したがって力の流れは後ろへのベクトルとなります。これは稲作における姿勢も同様です。
農作業はこの姿勢が多いため、猫背になる人が多いこと。膝を曲げやすいように腰を引くことが多くなるので、下方へのエネルギーが強いのです。
この「下方へのエネルギー」は、座って行われる手拍子、よく宴席で見られる光景に通じています。2拍子、3拍子、4拍子もありません。一律に腹の前で両手を合わせ、振り上げることは殆どなく、両手をすり合わせ、離して合わせる動作なので、西洋音楽の特徴であるAuftaktはあり得ないのです。よく手締めの儀式で行われる「チャチャチャ チャチャチャ チャチャチャ チャ」も日本人なら練習せずに誰でも出来るのは下へのエネルギーだからです。
ジャンケンも同じなのです。動作をやってみると、図2のように手を上下に振っていませんか。
なかよしこよし
いつでも一緒に
ポックリポックリあるく
と歌ったときも、無意識にお辞儀の動作、あるいはうなずいた動作(息使い)をしていると思います。
縦書きの文を読むときも同じです。上から下に読んでいますから、息を吐いている状態になります。というのは、無意識に呼吸するのは下から上に上がる時なのです。ひらがなを書いてみると上から下へのエネルギーがよくわかると思います(図1)。日本の音楽は何より縦書きであることに繋がっています。邦楽の楽譜も縦書きですし、琴も座して弦を上から押さえるわけですからスウィング(swing)するということはあり得ません。
日本のもうひとつの基本動作に座ることがあります。この動作(所作)には「自然への畏敬の念、食物は天からの授かりもの、神様からの授かりもの、天とは一にして大きいものの意、手を合わせ祈り、感謝する」という非常に大切なメッセージがこめられていると思います。
ここから、日本では正座という基本姿勢が生まれました。正座してみると腰から背筋がピンとして、自然と腰に「気」が入ります(図3)。姿勢とは「勢いある姿」と書き、「気が充実している」ことです。そこから日本のさまざまな文化は、この座るという姿勢を大事にしてきたわけです。そして、そこから「意」が生まれました。「意」とは「心の音楽」を意味し、真なる心を求めています。また、茶道、華道、書道、芸道、武道(剣道、柔道、弓道など)等と「道」がついています。即ち「道」とは人間の道を拓くことであり、スポーツの様に楽しむという感覚でなく、修行の形をとることになります。「礼にはじまり 礼に終わる」という心の修練を要求しており、常に自己と向き合うことになります。
この「道」において更に大切なことは「間」という世界を知ることです。この「間」には強力なあるエネルギーの「場」が集中していて、その「間」にどのように自分を置くかが何より重要なことになります。つまり「間」の呼吸こそ世界にない日本独特のものなのです。
それに対して、西洋の基本動作は立つことです(図4)。また、握手するときには足を一歩前に踏み出し、手を下から上へ振り出します。ひらがなとアルファベットの書き方を比較すると、その違いがよくわかります。アルファベットの小文字を書いてみると、下から上の動きになることに気づくでしょう(図4)。
日本の基本動作である座は屈筋を使いますが、立つには伸筋を使うことになります。「立つ」とは足を伸ばす、さらに体を張る、一人の人間として「立つ」、実に意味が深い言葉です。「Stand up!」「起立!」「立つ」とは下から上へのエネルギーなのです。更に「立つ」には下から上だけでなく、実は、下へのエネルギーも何より大切になってくるのです。ふんばる、四股を踏む、踏み込む、踏みしめる、大地を踏みしめて立つ、米俵を担ぎ上げる、重量上げ……。そう、「立つ」とは反動なのです。
「働」という字を分解すると「重」+「力」+「人」となり、つまりこれは生きる(活きる)という意味になります。これはまさに人が動きに対して働きかけるということです。植物は地に根を張り、天に向かって枝を張り、水を吸い上げ、炭水化物を作りつつ酸素を供給する。動物は植物を食し、動物を食い、酸素を吸収し、ガスを放出する。という営みの中に人もあるのだと言えるでしょう。こうしてみると人間は自然によって活かされている、いや自然が人間を養っているということが理解できます。巨匠チェリビダッケ氏の忘れることができない言葉に「私達にできることは、自然を利用し音楽として帰すことしかない」というものがあります。さらに「リズムとはエネルギーの痕跡である」と喝破しています。
音楽とはつまり、人が生きるリズムの中から生まれるものでなければならないということです。なかでもリズム楽器であるドラムの演奏の中に込められている意味は大きいものだと言えます。
アフリカではドラムのヘッド(皮)は心臓、胴は循環器。皮を張る紐は神経、太鼓の中に入っている小さな木の実は魂であるといわれています。まさにドラムは人間をシンボル化した楽器なのです。日本太鼓の文字を紐解いてみると、「太」は大の字を大々と重ねるという意味であり、「壴」は腹を意味し、「支」は手足を意味しています。天という一にして大きい宇宙と人間という小宇宙をつなぐ神器としての象徴的意味もあります。故に神社に奉納されているのです。
「立つ」という動作をゆっくり行ってみましょう。足の裏が床、地面にぴったりついている。腰を支点として片足をゆっくりはがすように上に上げる。「上げる」はある意思を表しています(図5)。「上げる」ことである位置からある位置に移動したことになります。移るプロセスに充分気を遣うこと、移動して膝が腰の位置と同じ位置に止まる。床から離れる時に音がして、着いた時(所で)音がするというイメージです。これがリズムを取るという行動の基本です。これをまず片足で何回か繰り返す。更にもう一方の足で同様な動作を行ってみましょう。今度は交互にゆっくり行います。床に着くと同時に一方がゆっくり離れていく。この時移動に充分気をつけてください。交互に足を動かしていると両手も振り動かされ、何かねじれて動いていることに気つくでしょう。手が前後に動く時、体の側面でこすれるようにしてみると、前から後ろに行く時は音が低く、後ろから前に行く時は高い音であることに気づいたと思います。そう「前」に行く、つまり下から上へ行く時は高い!この実感が奏法の第一歩です。
さて、手のひらを、上がってきた膝のところにおいてみます。裏打ちが出てきたことに気づくと思います。そうです、歩くという動きには裏があるのです。これがマーチとなるのです。したがって手を振りあげる、足を振りあげるという行為はauftaktを意識させてくれるのです。よほど気をつけないと上の位置を全然意識できず、踏みしめる動きになってしまうことに注意が必要です。
次に片足で立ち、一方の足をSwingさせてみる。すると足が後ろに行った時、体が反ることになります。この反りの分、前に移動しているので、この反りを意識して両足で立った位置から前に一歩出ます。立っている方の足の親指に充分注意してください。反るという動きによって両手は外側に開くことになります。したがって拍の位置が私達の日常、つまり日本的な動きとは反対になることに気付いたと思います(図6)。
さらに中心に対する意識も変わってきます。これこそリズムを奏でる動きであり、スポーツの動きと同様のものです。スポーツの動きは下から上に外にと実にダイナミックな動きになることに気付いたと思います。足が自由になることにより回転する。回転させるという動きが入りますからDRIVEというイメージが入ります。
人間の体は円運動が出来るように出来ています。人間はまるい、血管もまるい、腕もまるい、指もまるい。したがって人間の使う道具もまるいものが多いのです。太鼓もまるい、樹木もまるい、動物もまるい、外見はまるくないものも内側はまるいのです。回転、循環というイメージ、発着というイメージ、UPとDownのイメージ。歯車のリズムをイメージしてみてください。「イメージこそ人間に残された最後の財産である」と、ある哲学者が言っています。
音楽をする上で、いや日常生活に音おいても一番重要なのはcount感だと思います。Beat感とも言えます。これによって日常の行動までも変わってしまいますし、音楽の質、性格までも変わるのです。
ではどのように違うか試してみましょう。
私たちは日常、シンボリックな所作をしています。親指を立てるとOK、Bravo! 下に向けるとNO、BAD!という具合に。
では手のひらを上にむける、上にあげると言う動作は響きをあげるというイメージです。両手を上にあげて行くと両手は左右に分かれ体は反っていきます。反対に手のひらを下にして下げて行くと、両手は中央に寄り背がまるくなります。音響は常に手のひら側にあるというイメージになります(図7)。
次に、空中で「8の字」を描いてみてください。何度かくり返すうちに、手のひらが反転する位置が下になることがわかります。反転するPoint、下降してきて上昇するPointをつかむことができます。このPointこそ、息を吐ききり、息をするPointなのです(図8)。
日本太鼓でなく、西洋のバスドラムには胴に「1円硬貨」ほどの空気孔があります。両手で鼓面をギュッと押さえますと、この空気孔から空気が出て行きます。出来るだけ強く押さえ込んだところで両手を離しますとスーッといって空気が中に入って行く音がします。バスドラムを自分の体に置き換えて考えてみると、自分の体の中に気が入ってくるのと同じであることに気づきます。両手で押さえる行為を図にすると図9のようになります。「●」で示すPointがすべての基本になります。
離す前に「やる」という意が込められ、次に「爆発」「開放」という「発」が行われる。この一発の「発」をどの様に感じるか、どの様な息使いなのか、どの様な感覚なのか、という意識をしっかり持ってほしいと思います。私はこの感覚を「up感覚」としてとらえています。前をひらいて閉じる、ひらくことより足が前に出る、気が入る、離れることにより運動がおこるということです。
わかりやすくすると、図10のように紐や、紙、布の両端をつまんで左右にひらくと、紐、紙、布が引っ張られて、そのものの中央で音がします。張ることにより伸縮が働き連続させることが出来ます。
図11のようにあおむけに床に寝て片足のももを両手でかかえ、膝から先を伸ばしてください。頭が反るでしょう。そう伸ばすと体全体が反る。これが基本ですから前にすすむとは反る運動であることを体で覚えてください。
「人間の体は本来どのように動くのか」を、自分の体を通してよく知ることは、己を知るのにも他を知るのにも大変役立ちます。
インドの中世の言語哲学者バルトリハリは、「気」の充実をスポータと名付け、スポータは本来「花が咲く」という意味で、のちに「精神」とされてスピリットになり、肉体化されてスポーツになったという。スポーツは肉体の盛んな開示を意味しているという。
スポーツの行動は腕を振り上げる、振り下ろし、また上げるという行動がほとんどです。物を投げるためには片腕を充分に後方に引き、一方の手を充分に前に伸ばし、気を入れ、体の一部となっている物を自分の体から離すのです。バット、ラケットを振る。ボーリング、円盤投げ、槍投げ、バスケット、バレー等、下から上への運動が満ちあふれているのです。
前に行く運動は「反る」ことが基本になっているから、声も下から上に出すことになります。お辞儀的運動では前に出ないし、遠くに離す、自分の体から声というエネルギーを離すというイメージも行為も出てきません。声を掛けるとはどういうことなのか、現代人はすっかり忘れてしまっているのです。
さて、音楽の、いや日常生活の質を高めるためにcount感を身に付ける練習をしてみましょう。
下から上へのイメージで図12のように「発」を繰りかえす。発から着までのプロセスの感覚を充分につかみとること!「着」は次の「発」と同じ位置ということも感覚で理解すること!「一発」ができればそれを連続させるだけである。
次に、「発」と「発」の間の速度を決めることによって一定の速度を決めることができます。これはBeatの回転でテンポが決まるという考え方です。1(回転数)=60(1秒)とすると図13となります。1秒を体に覚えさせるには歩く速度が標準になります。マーチはおよそ116から120ぐらいですから、一歩一歩の感覚が非常に大切なのです。裏を感じた一歩は楽しさを、そうHopした一歩は幸せにしてくれます。その息使いは貴方を健康にしてくれます。
回転と音価の関係について、図14をみて考えてください。一発の長さ(拍)をしっかり体にしみこませ、段々と速度をあげて行き、2倍になったところ、3倍になったところ、4倍になったところ、5倍になったところの位置をしっかりと身につければ、自分自身をよりよくtune upすることが出来ます。
日本語で「おはようございます」と、はっきり、くっきり、しっかり、すっきりと発音してみましょう。なんと図15でわかるように9拍子が出来るのです。日本語は実にいきいきしたリズムをもっているのです。はきはきした日本語も国際化には必要です。
先程の速度感を表現できると、30、40、50、70、80、90、100、……といった速度をわり出すことが出来ます。全音符はいくつでしょう?付点2分音符の中に128分音符はいくつあるでしょう? 解いてみて下さい。楽典にある音符感覚が貴方を不自由にしています。音符は図16のような世界を表していることを知って下さい。音響的には違う様ですが、非常に意味が深いマクロとミクロの世界をイメージ出来、素粒子の世界へとつながるのです。
また、速度、いや拍惑、ビート惑がいかに大切かおわかりでしょう。何となく口で1、2、3、4、とか1、2、3、とかいって4拍子、3拍子といっているのがどんなに具合の悪いことか。この口で言っている1、2、3・・・のポイントが非常にあいまいであることに気づくべきです!!躍動感があるビート、静かな中でも生きているビートこそ鼓動なのです。自分の脈拍をきいてみましょう。鼓動があることこそ、生きている証なのです。目にみえない流れ動くエネルギーの中にビートがあるのです。不思議にして驚異に満ちた世界であり、まさに奇跡なのです!
初出 2003.4 21世紀の音楽入門Vol.2
参考文献
「プラネタリーブックス」気談 松岡正剛他(工作舎 1980)