パーカッションのルネサンス 39

打楽器奏者の目から見た今日の音楽と音楽教育 —— 連載第39回
•内なるビートの復活をいまこそ望む

有賀 誠門(打楽器奏者)

 クラシック音楽の原点といえば、「律動的な動き」だと思います。次第に人間の内面を表現するロマン派、印象派を経て現代(1900年代)に入ると、ストラヴィンスキーがどろどろとしたうねるような音楽にくさびを打ち込み、リズムの復活をうながしました。しかし、そこで属音→主音という調性が破壊され始めました。12音技法という音の点在による音楽が考えられ始めたのです。非常に頭脳的な作曲技法であるため、音楽の本来もっている土俗的、肉体的なリズムも失われ始めました。そして歌も失われたのです。そのぎりぎりの線を守ろうとし、そこに自分をおいたのがヒンデミットだと思います。1950年代、日本では池内友次郎門下が羽ばたく頃であり、ヨーロッパの新しい波が押し寄せてきました。そこで生まれたのが吉田秀和らの率いる「実験工房」(湯浅譲二、武満徹、秋山邦晴等)でした。築一次世界大戦後、アメリカはドイツとでなくフランスと交流をもちます。A.コープランド、E.ヴァレーズ、G.アンセイルといったところがパリとアメリカで、はなばなしい活動をしていました。さらに異色のJ.ケージが実験音楽を試み始めました。その文化の活動の先端が日本に入ってきたわけです。

 その影響の中で育ったのが、武満徹です。ですから彼はその後もいつも先端を行くことになります。彼独自の美学を創り上げたのです。ジャンルを問わず、あらゆるところに彼の音楽をひろめました。大きな手段は、やはりメディアを使ったことでしょう。映画音楽で名声があがりました。彼の視野は非常に広く、音楽の世界だけにとどまっていません。だからこそ、「今日の音楽」と称して世界の最先端を日本に紹介しつづけました。しかし、残念ながら一部の人たちにしか伝わりませんでした。

 この狭い日本でなぜか音楽する「場」のすくないこと。東京をちょっとはなれただけで音楽不毛になってしまう日本の音楽教育の貧しさ。創造する糸がプッツン、最近では感じる心が失われています。学校というところにいると教育現場をみる機会が多くあります。東京の子どもたちより、地方の子どもたちに気になる点が多いのです。恐らく車で移動することが多く、「歩く」という生活基本が失われているからだろうと思います。体は秩序正しく動くようになっているのに、何の意識もされていないことが原因でしょう。立幅跳び、指さし、手を上にあげる、腕をまわす、声を出す等々、単純なことがおろそかにされているのです。

 動きの基本、声を出す基本、個性も大切ですが社会生活していく上での人間の基本を体感することです。一人ひとりの個人が人格形成をしていかなくては、日本の社会はほろびるし、世界から何も相手にされなくなります。内なるビートの復活がいまこそ必要なのです。音楽にビートを!とくにクラシック音楽にビートが必要です。指導者にビート感がある人が最も必要です。学校は社会の縮図ですから、学校の中が、明るいビートある先生方の多いことが望ましい。

 さて、編集氏との電話で今回、武満徹『ノヴェンバー・ステップス』をとりあげてみることにしました。この作品はニューヨーク・フィルハーモニックの創立125周年の記念のために季嘱されたものです。時は1967年。

 東西のかけ橋といわれた作品で、尺八・横山勝也、琵琶・鶴田錦史の両名人によってひきたった作品でもあります

 現代作品には1:2、1:3、1:5等という理で考えるリズム形が非常に多いのが特徴です。ビート感のない、ごく普通の1、2、3……等のカウント感での分割リズムは、非常にあいまいなもので、おろしろくもありません。私の個人的なことですが、このような理由で10年間ほど、現代作品から遠ざかり、マリンババンドを結成し、「のり」のある音楽にのめり込んでいました。それ以来、クラシック音楽にビートを打ち込んでいるわけです。

 表面的な形でなく、体の中から湧きあがるものです。日本の邦楽打楽器の音のすばらしさは、かけ声にあると思います。即ち息使いです。重いエネルギーを押しあげる(押しやる)エネルギーが最も大切であると思います。まさに武道、スポーツ人が1球、1本・・・に全身全霊をかけている姿、息使いです。ジャズダンスたちの動きが美しいのは「のり」の中で急激な動きがあったりするからです。その「のり」の中で外面、内面の激しい情感が表現されているからです

 映画は、その民族の生活、思想、哲学を視覚を通して伝えるものです。その中に使われる音楽も非常に大切な役割を果たすわけです。劇場音楽がもっともっと書かれる必要があるし、より高い音楽性のものを要求することです。それによって多くの人たちが、音楽を身近かなものにすることができます。

 万人が好きになれる、日本人による作品が望まれます。

 

(1997.1)