音楽は神よりのさずかりもの

有賀 誠門

 「ニューギニアの音楽」
Sprit-Flute played by two men, Wahgi and Chimbu melodies.
PRIMITIVE MUSIC OF THE WORLD,
FOLKWAY MUSIC ALBUM NO.FE 4581

 この一枚を聞いた時の驚きは何ものにも代えがたいものでした。音楽とは生々しいもので理屈ではない。呼吸する人間の営みに感動したのでした。

 呼吸している-それは生きていることである。息遣いがひしひしと伝わってくる。原住民とか、西洋人とか、黒人とか、そんなジャンルに分けることは出来ない。人間は人間なんだ。すべての人間の体内には赤い血が流れている。肌の色は違っても血は赤い。血液型が同じならば輸血可能なのだ。輸血するとは人間と人間をつなげることである――。

 私が二十余年前、ボストンに留学していた時、J・F・ケネディが暗殺されました。丁度、ボストン響の演奏会を聴いていた時です。急遽演奏曲目は変更され、ベートーヴェンの第三交響曲「英雄」の第二楽章「葬送」が奏されました。

 それから一週間、すべての放送は、ケネディに関するもので荘重なクラシック音楽だけが流されていました。私は大統領の棺がアーリントン墓地に運ばれる時、どの様な音楽がどの様にして奏されるかと非常に興味を持って待っていました。一国の主の葬儀でもあるから壮大な吹奏楽による行進かなあ・・・と思いつつ当日を迎えました。TV画面から流れてきた音は何と低く重い響きで、

と嗚らす太鼓だけによるものでした。

 余りに単純な音楽!響きがすべてを表しています。太鼓はなんと素晴らしい楽器だろうとあらためて認識し直したのです。勇者の人生の退場にふさわしい音楽を太鼓が演じます。太鼓の太は「大大」の意で、鼓面は心臓、胴は循環器、締紐は神経、中には木の実か、小さな石ころが入れてありますが、それは魂を象徴しています。魂をふるい立たせ、打ちしずめる。大宇宙と小宇宙をつなぐ神具、それが太鼓なのです。

 オーケストラをやめて大学で講座を持つことになったのですが、ユニークなものにするため、「私はリズム感が悪い」と普通多くの人が云うのをテーマに選びました。日常の何気ない行為を音楽行為とつなげようとし、無意識を有意識し無意識に戻す。そこで「意識」の分野をのぞいたところ、余りに広く深く何から手をつけていいかわからなかったのです。
 
 幸いにもシュタイナーの著した「一般人間学」が目にとまり、読んでみると私が何気なく思っていたことが、より明確になり、"すべて" をさらに深く考え、感覚せねばならなくなりました。一行一行にこめられたシュタイナーの熱い"意"がしみ込んでくる。これがはずみになり、より人間の営み、自然の営みに関心を持つようになってきました。

 かつてリズム感を考えていた時、音とはどのようなものなのか、みえない、しかし、みえる。まぶしく、光り輝くものである、とひらめき自分なりに決めて今まで続いています。ぶつかると音が出るxx印を離してみる。→←矢印になってしまった。それ以来、矢印は私にとって切っても切れない想いであり、思いであります。離すための矢印は反対側になるわけです。離れる時に音がする。開かれた時に音がする。私にとってこの開かれる瞬間こそ生きている証しなのです。

 -閉ざされたエネルギーが開く。それはまさに芽が上に伸び、根が下に伸びる、その接点が大地である。紙を左右に引っ張る。音がする、張ると音がする。響きはエネルギー、渦巻くエネルギー。そのエネルギーの痕跡が大地である。大地が響き渡る。その大地から生まれた人間も響き渡る。響き渡る大地がヴァイオリンならば、響き渡る人間の足はさしずめ弓である。響き渡るものと響き渡るものが共鳴すれば、巨大な響きである。響きはまるい。響き渡るものそれが音楽である-。今の私は、すべてが音楽になり得るのではないか、音楽として感覚することが出来るのではないか、と考えています。

 -意識も音楽になり得る。タバコの煙が立ち昇る。それを視る自分の意識も動いている。動くものは響く。動いたように響く。煙とともに動く瞬間が音楽である。瞬間は火花である。その意識のフィードバックが音楽となる。「意」は人間だけが持ち得るものであり、気の中にいるのも人間である。意も気もみえない。みえないものにこそ、人間の創意がある。イマジネーションこそ人間に残された財産である。自然は人間に色々なことをだまって教えてくれる。自然の息遣い、これに我々がもっともっと気が付かねばならない。その中で人間が生かされている。外気と内気の呼吸こそ生きている証しであり、呼吸は立派な音楽だ。すべてがみえないエネルギーでつながっている。自然はすべてを包んでいる-。
 
 その中で生かされている人間が創り出した最高の魔法は音楽です。自然は純粋な音楽なのです!! (演奏家・Perc.)

(音楽鑑賞教育 9月号 1986年 「一枚のレコード」)