パーカッションのルネサンス 10

パーカッションのルネサンス
打楽器奏者の目から見た今日の音楽と音楽教育 —— 連載第10回
-アメリカの新しい波/ケージほか

有賀 誠門

 ヘンリー・カウエル(Henry Cowell)は独学で作曲家として名を成したアメリカ人で、ピアニストでもあり、また非西欧音楽の紹介につくし、新音楽の遂行に活躍しました。当時、ウェーベルン、シェーンベルク、アイヴス等との親交がありました。東洋音楽に影響された打楽器音楽《Ostinato Pianissimo》は八つの茶わんや、ピアノ弦にゴム等をはさみ特殊な音に仕立て(Prepared Piano)、キラキラした音を要求しています(注1)。

 1930年代のもう一人の打楽器開発者Gerald Strangは、小品ではありますが木魚、コンガ、ドラ等少ない楽器編成で素晴らしい効果を出している《PercussionMusic》(1935年注2)を書き、スティックの重要性を指示しています。

 ルー・ハリソン(Lou Harrison)はカウエル、シェーンベルグ等に学んだ異色のアメリカの作曲家の1人で、東洋、そしてアメリカ南西部のインディアンの音楽に影響された音楽を打楽器で表現しました。最初に書かれたものは主としてダンスの伴奏のためのものでした。しかし彼は、しばらくして打楽器を導体にして作品の範囲を拡げました。彼のスコアは原始的な、そして奇妙な繰返しの旋律で組合わされています。自動車工場からブレーキドラム、スーパーマーケットからコーヒー缶、花瓶、ボール、グラス等を利用して、その物体がもつ透明にして純粋、微妙な、そして親しみやすい響きから音楽を創り、ユニークな作曲家として名をはせました。《Canticle No. 1》(1939年)、《Lubyrinth No.3》、《Symphony No. 13》(1941年)、《Suite》及び《Canticle No.3》(1942年)等は彼の作品の中でよく知られたものです。最後の作品《Concerto for Violin with Percussion Orchestra》(1951年 注3)の書法は、彼の典型的なものです。6本の鉄パイプ、風鈴、2 トライアングル、6ブレーキドラム、2スズ、5コーヒー缶、マラカス、2シンバル、2クロックコイル、3ゴング、タムタム、バスタブ、大太鼓、小太鼓、コントラバスと、通常の打楽器でないものがたくさん使われています。
  
 1930年代のアメリカ西海岸の打楽器音楽の運動推進者はケージ(John Cage)でした。書法は正規のダンスの形式をとったもの、あるいはオリジナルのConstruction (構造)、あるいはImaginary Landscape(想像的風景)といった形で書かれています。彼は予めピアノの弦の下や間にゴム、ボルト、フェルト等を挿入させ特殊音を創り-Prepared Piano-小打楽器アンサンブルを組合わせました。《Amores》(1943年 注4) はPrepared Pianoと3人の打楽器奏者を必要とします。《Metal Construction》(1939年) は、10分ほどの曲ですが、6人の奏者が金属楽器だけを用いたものです。《Construction III》はしばし演奏され有名になりました(注5)。ケージは今日の打楽器音楽は「全部がテープにおさめられたfull-scale musical creation (本格的な音楽創造)へ導く transitory manifestation (一時的な表明) である」という意見を持っていました。1940年前後は、第2次世界大戦でヒットラーがソ連に侵入を始め世界が戦争にまきこまれた時代でもあります。本格的な打楽器音楽のブームは終わった感がありました。これを救ったのが「もっと前をみよう」とした学校からでした。1950年、イリノイ大学が打楽器アンサンブル・クラスに単位を与えることを最初に行なったのです。ストコフスキーから”Mr. Percussion” といわれたプライス(Paul Price)がその張本人でした(後にマンハッタン音楽学校に移り、打楽器音楽の発展に大きな功績を残しました)。新学年から自分たちのレパートリーに付け加えるべき新しい作品を熱心に探しはじめました。新入生と高度に訓練された学生奏者が立ち上がり、作曲家の一部に刺激を与えました。開発的な作品の中にみられるいくつかの衝撃的な効果に対してちょっとした反応がありました。Michael Colgrass, Jack Mackenzie, Warren Benson, Harold Farberman等による打楽器作品は、保守的な書法からより新しい試みがなされるようになりました。さらに新しい創造的な打楽器作品への啓蒙運動は1955年にやってきました。イーストマン音楽学校が打楽器作品のコンテストを設けた時でした。日本では「三人の会」(黛、芥川、園)、山羊の会(外山、林、間宮)、実験工房(吉田、武満、湯浅、秋山等)などのグループが活動を始めた頃で、パリ仕込みの池内友次郎の門下生が羽ばたき始めた頃でもあります。世界情報の短縮化により、より速く世界の流れが日本にもたらされ、その中で西欧的なものとのはざまで日本の美意識が多くの作曲家によって試みられるようになりました。

 ヨーロッパでは1960年、パリ音楽院のFelix Passerone教授のもとで育った打楽器奏者たちがストラスブールに集まり、「ストラスブール・パーカッショングループ」を結成し、世界の打楽器界に大いなるStep upがなされました。

(1993.8)

(注1) Henry Cowell : 《Ostinato Pianissimo》 CD: DRUMS Würzburger Perkussion Ensemble THOROFON/CTH 200:1
(注2) Gerald Strang :《Percussion Music》 LP : “MUSIC FOR PERCUSSION” Paul Price and his ensemblePERIOD/SPL 743 (廃盤)
(注3) Lou Harrison: 《Concerto for the Violin with Percussion Orchestra》 CD: Continuum Percussion Quartet NEW WORLD RECORDS/NW382-2
(注4) John Cage: 《Amores》 CD: Amadinda Percussion Group HUNGAROTON/HCD 12991
(注5)John Cage: 《Third Construstion》CD: Continuum Percussion Quartet NEW WORLD RECORDS/NW382-2

参考動画


Henry Cowell: Ostinato pianissimo (1934)
 


Strang – Percussion Music for 3 Players.VOB
 


Lou Harrison – Concerto for Violin with Percussion Orchestra
 


John Cage – Amores (1943)
 


John Cage – Third Construction