パーカッションのルネサンス 3

打楽器奏者の目から見た今日の音楽と音楽教育-連載第3回

有賀 誠門

 ヨーロッパでは各王室がそれぞれの軍楽隊を所有していて、とくにティンパニ奏者とトランペット奏者は一般の音楽家たちの間ではエリートとして遇されていました。

 彼等自身だけの、王室トランペット奏者とティンパニ奏者のギルド(組合) をもち、その代々のパトロンは、サクソニー選帝候でした。

 志望者がギルドに入るための検定試験を受けるには少なくとも4年間のトレーニングが必要とされました。15世紀頃には、ドイツがArt of Timpani Playingの中心地と考えられました。しかし、ティンパニはドイツばかりでなく、フランス、イタリア、そしてイギリスの軍隊でも使われ、その他の祝賀音楽でもその一部として確固たる足場を保ってきました。

 1685年、オーボエ奏者であり、ルイ14世の楽譜係であったAndre Philidorによる『2対のティンパニのための行進曲』がいちばん最初に書かれたティンパニ・ソロの曲でした。(注)

 ヴェルサイユ宮のリュリ、そしてイタリアのモンテヴェルディの後継者が軍隊で使われていたティンパニを使うことによって、今日我々が知っているシンフォニー・オーケストラの第一歩を確立したのでした。

 一方、ハンブルク・オペラの監督のニコラウス・アダムス・シュトルンクは1680年、自作『エステル』の中にCymbalを用いました。しばらくしてランペという神学者によって450頁にわたる「シンバル演奏法』の論文が出版されました。

 さて、次代は驚くべき発展をみることになります。再び音楽と楽器は東方よりやってきました。1720年、オスマン・トルコのサルタンがポーランド宮廷にトルコ近衛軍隊を派遣しました。その中の金属楽器の分野にBass Drum (今日のものより胴が長く、直径は短い)、Cymbal、Triangle、Tambourin、そしてJingle Johnnyの名で知られるCrescent (日本でいえば金属製のマトイに大きな鈴がついたもの)を含んでいました。わずか50年の間にヨーロッパのあらゆる軍隊がトルコ軍楽隊の使用している楽器を持つようになりました。ウィーン市民はトルコ軍の打ち鳴らす大音響にびっくりギョーテン!!ウィーンのパン屋さんがトルコ国旗の象徴である月形のパンを作ったのがクロワッサンのはじめだと、何かで読んだことがありますが・・・。

 1782年、モーツァルトの「後宮よりの逃走」が上演された時、その序曲は東洋音楽に民衆の興味を向けることになります。Bass Drum、Triangle、Cymbal が使われています。

 東洋的な異国への興味は視覚的にはラモーや、グルックのオペラや、オペラ・バレーの中に取入れられています。

 ハイドンの『軍隊交響曲』(1794年)、そしてベートーヴェンの『アテネの廃墟』(1812年)のスコアが証明するように今日の作曲家が音楽的表現に使用することになり、打楽器は市民権を得ることになりました。

 ベートーヴェンは、--彼が作品の中に崇高なひらめきと徹底した商業的要素(『ウェリントンの勝利』)を結合しました--慎重に交響曲第9番の自筆スコアにしるしたそうです--
 「利用し得るすべてのトルコ音楽を伴った、最後の交響曲」と・・・。

 しかし、結果において、この当時の打楽器演奏法の形態は、サーカス・オーケストラの専売品としか扱われませんでした。

 19世紀初期の打楽器芸術の意味ある発展は、演奏技術が改良されるほど、打楽器の種類はそれほど増えていません。

 ハイドンは彼自身ティンパニをマスターし、そして彼の後期の交響曲において彼の知識のすべてを利用しました。ハイドンとモーツァルトは、音のチューニングの正確さと演奏における注意を厳密に主張しました。それによってベートーヴェンは、彼の音楽の中でクライマックスの時だけ皮の上で主音と属音を鳴らすだけのティンパニストでなく、ティンパニストはむしろ本当のVirtuosoであるべきだとし、彼の音楽は、それを可能にしたのです。

 オペラ「フィデリオ」が書かれた1805年より前、交響曲第7番が書かれた2、3年後、ベートーヴェンは今までの主音と属音だけの調律から、あえてティンパニストを解放したのです。

 交響曲第8番第4楽章、なんと

オクターヴなのです。そして第9交響曲

の第2楽章冒頭、Fによる

は、よく”timpani”と口ずさんで演奏しなさいと言われますが、当時のティンパニストにとっても、聴衆にとってもさぞかしびっくりだったことでしょう。ティンパニスト冥利につきるソロであります。

(1993.1)

(注)参考レコード
trompettes de cavalerie trompes de chasse hautbois & tambours pour la GRAND ECURIE a VERSAILLES J. B. LULLY & A. PHILIDOR l’Aine dir. Jean-francois PAILLARD ERATO. OS-2107-RE
「ヴェルサイユ宮大厩舎の音楽」パイヤール指揮