パーカッションのルネサンス
打楽器奏者の目から見た今日の音楽と音楽教育 —— 連載第12回
—エピソード 中国の打楽器ルネサンス
9月13日、午後2時55分発の中華航空で北京に飛ぶ。飛行時間約4時問、初めての中国、北京空港に到着。馬平君と劉先生が出迎えてくれる。3人にとってホテルでの夕食は、新しい旅のはじまりであり非常に印象深かった。劉教授は1960年代から打楽器音楽に情熱をかたむけてきた人で、最近では世界の新しい作品にも積極的に取組んでいる素晴しい先生であった。小生は4人目の外国人講師とのこと。より深く音楽を求めていることは、言葉として出て来ないがひしひしと感じるものがある。出会うべくして出会った、何とも心地がいい。
1日目、朝9時から大学生と高校生による混成軍団によってアンサンブルのレッスンが開始される。大学1年生の3人は軍隊訓練のため参加できないとのこと。課題は《Toccata》(Chavetz作曲)が与えられていた。
お互いの合図の送り方が徹底していないのでうまくいかない。まず「のり」を体得させることからはじめる。
1. 足の伸縮運動
①右足で、②左足で、③両足交互に
2. 腕の伸縮運動
両手同時に
3. 足と腕の連続伸縮運動
4. 手足の動きから首の動き、前進する時の動きにつなげ、その動きの中から声を発し、countする、feelingを体感させる。
常に上に向かっていくイメージをもつこと。この動きをすることにより、アフリカ、ラテン音楽のリズム感を体得する近道になることを説明し、今はできないかもしれないが、かならずできるようになると自信をつけさせる。
普段そのような動きをしていないし、考えたこともないようだ。しかし、小生の説明と表現に興味をもち、次第に集中度が高まってくるのが感じられる。下を向いてsnare drumのrollをすると音が沈むことも理解してきた。腕を上にあげ振ることもできるようになる。手を振ることから打楽器奏者は指揮者と同じであり、全体を知る能力が必要であることを力説する。テンポとリズム感の設定の仕方、楽譜の読み方と解釈、口三味線で歌うことを徹底させる。腹式呼吸が大切なことを実演。
音が明かるくなり、「響」のイメージと「のり」がはっきりとみえる。最初と全く変わってしまったことに聴く側が驚く。さて第3楽章の後半(vivo)、ボンゴが活躍するところがあるが、感じ方次第で月とスッポンの違いが出ることを試みる。
また
のfeelingとリズム感の違いも実演。日常生活の現象に合わせた説明で、皆はその発想に驚きもし、それが何より自然であることに納得してくれた。Jump、Dance等、体全てを使ったレッスンで第1日は終わった。20時間余もかけて西安から聴講にきてくれた西安音楽院の劉亜光先生、天津音楽院の劉平先生、北京放送交響楽団首席の舒承一先生、中央音楽院民族音楽の李真貴先生、中央音楽院附属高校の趙紀先生ほか、指導的立場の方々、そして高校生、大学生の前でのレッスンであり、小生の方法が理解してもらえるか心配だったが、目が開かれた、と皆が握手を求めて下さり、心からの表現に感動をおぼえた。指導者は毎回聴講してくれた。
第2日、第3日はsnare drum、timpani等の個人レッスンが行なわれたが、高校生のうちに、何か未知数ではあるが才能が隠されている2人が印象深い。1人は男子でロシアの作曲家の作品をマリンバで演奏したが、その歌い方と演奏は見事であり、何よりも彼の目が神秘的に光り、美しく輝いていることに何とも言えぬ魅力を感じた。常に微笑みかけている。理解力もあり、ヴァイオリンの弓使いとの関係も実に的確にわかってくれた。4日目は万里の長城へのドライヴ。快晴に恵まれ、大陸の秋を満喫する。日本と違って西洋的な発想がある。道路より高い所に家があるのが印象的であり、一人ひとりがはっきりした主張をもっている。言葉が実にリズミカルなのが面白い。
5日目、印象に残った2人の女性をご紹介しよう。1人は大学生、《Mexican Dance》から第1曲を弾いたが、響きがきれいで、彼女の意志が伝わってくるのである。音と音との関係を読むことを教えると夢中になって食らいついてきた。理解力がすさまじい。もうl人は高校3年生で背が高い。レッスンを重ねるごとに目が輝いてきた子である。ドップラー作曲の《田園幻想曲》を弾く。何と見事な演奏か、その歌ごころに聴きほれてしまった。リズムの読み方、その意味を教えてやると見事に変化していく。無限の可能性を秘めたすばらしい学生だった。日本では聴くことができない歌ごころをもっている。音楽することの喜びを彼等は日本の学生以上に感じてくれた。何よりも、彼等の目が違ってきたこと、行動が変わってきたことが証しである。
まさに中国はとてつもない可能性を開かんとしているのである。
(1993.10)
北京の名勝 頤和園