パーカッションのルネサンス
打楽器奏者の目から見た今日の音楽と音楽教育 —— 連載第30回
• リズムは心の動きから
有賀誠門(打楽器奏者)
自分から「喜び」「嬉しい」といった心の感情を表わす踊動するテンポを出してみましょう。そしてリズムを口から出してみましょう。
テンポを維持できましたか? 何種類のリズム形が出てきましたか? (図1)
タッタッ↓ ↓ と舌を使っていては軽快なリズム形は出てきません。シンコペーションが出てくれば、かなり自由になってきた証拠です。舌の動きが非常に重要になってきます。舌をふるわせたりして舌がなめらかに動くように練習して下さい。次に口からリズムを唱えながら、手を振ってみましょう。拍子をとるなり、手でそのリズム表現をするのです。息遣いがのってきましたか? 下に向かなくなってくればしめたものです。一心に唱えていると腹式呼吸ができるようになります。お経を唱えることは精神安定にもなり、テンポ感、ビート感も身につき、非常に体のためになります。たとえば「南無妙法蓮華経」と唱えます。6拍子が出てきます。アクセント(強調するところ)をそれぞれのところにつけて練習する。何種類のパターンができるか「顧列組合せ」で出してみるのも面白いのではないでしょうか。
クラシック音楽を演奏する人たちに不足しているのは、この心の動きなのです。譜面に書かれている「記号音」は出すことができるが、その音楽の根底にある「音楽を運ぶリズム運動」を心から表現し得ていないと思います。頭で考えたことが表現されているだけですから、息遣いがない、あるいは浅いのです。しかも、私たちの日常の運動は下への指向―固まる、発展性に乏しい―が強いので、その音楽とは裏はらのリズム運動で音として出てきてしまうことが多いようです。
たとえば次ページの譜例のような音符を
と奏するアマチュアの打楽器奏者が多いのには驚かされます。自分から弾むリズム感というものを表現できない。まずテンポをキープすることがむずかしいらしい。拍子をとるとき同じ位置でとる場合が多いのです。一定の速度を2倍速くする時、すぐ2倍になりにくい人も多いです。
上に立つ人にこのような人がいた場合、とくに教育の現場では、大変に悲しい状態がおきます。わずかな人数による器楽アンサンブルで指揮があった場合、生徒は指揮をじっと見て演奏しています。無表情で、音楽的動きは見えません。終わっても下を向いて立つだけです。音楽が教えられていないのです。この曲はこういうリズム感をもった音楽だ、と口三味線なりステップを踏むなりして、フレーズを歌わせる。そうすれば指揮者なしで、素晴らしい音楽を演奏できるようになります。とくに小学生の時が大切です。クラシック音楽は実に素晴らしい音楽です。その音楽のリズム感とフレーズの歌わせ方に「命」がかかっていることを肝に銘じてほしいのです。ソルフェージュというのもあちこちで聞きますが、音を正確にとるとか、楽譜に書かれたリズムを正確に打つとかがされるだけで、音楽として歌うこと、音楽するビートで、リズムの特徴が教えられていないようです。受験生や高校生でピアノを勉強している人たちに聞いてみた時の多くの方々の返事でした。
小太鼓で二つ打ち(右右左左右右左左……)を段々に加速させ、ロール打ちにする奏法がなかなかできない子がいました。そこで、ブルグミューラーの教則本に出てくる〈Ave Maria〉を音楽する息遣いで弾くように、鍵盤のタッチ等指先の感覚とピアノの弦との連係も教えたところ、小太鼓の二つ打ちができるようになってしまったのです。さらに今まで雑な行為をしていたのが実に洗練されました。何よりも小太鼓の音”tone”が出てきたことです。何が彼女をそうさせたのか、彼女の頭の中を見たくなったものです。教えることの重要さをこれほど強烈に感じたことはありません。
イメージを描くこと―心の動きには測り知れないものがあります。息遣いは、心遣い、気遣いにつながり、ビート感は生きていく上で実に重要なのです。常に新しい息吹きをもって時をすごす、しかも、音楽をして時を過ごす、これ以上の至福はないと思います。
呼吸のしかたで、その人の体が変わってしまうのには驚かされます(*)。私は様々な音を出して生活しています。その音を出すのに様々な動きがあります。それぞれの仕事に、それなりのテンポなり、手順なり、動作があります。何気なくしている動作に気づき、その根源現象を発展させることが、貴方をよりよく活かすことだと思います。
(*)私事ですが私の胸囲が101cmにひろがったのです。
(1996.4)