よりよくありたい

 先日、子とテレビをつけてみると、丁度選抜高校野球選手入場式の練習風景が映されていました。若き彼等の歩く姿のギコチなさ、グランドを駆けまわる彼等とは思えないチグハグな動きに驚きました。恐らく筋肉を鍛えるべく様々な機械を駆使して体をつくっているでしょうが、象徴としての人体の基本運動が作り出す自然にSwingするリズム感を体感出来ていないことは実に残念なことです。

 バットを振ってフルスイングの練習に何時間も費やすのに、手足というバットをスイングさせて歩くことの意味がおざなりになっている。意味については、今ここではふれません。手足を動かすことが体操という形で行われていることに問題があると思う。足の上下運動と手足の上下運動‐下上でなく上下に注意‐そして首の動きとの間におこる「のり」あるリズム現象を体得すればいかにロック音楽が若者を慮にするかわかるでしょう。そして、この「のり」で足を前に振り出し位置の移動を行う「歩く」という行為が何とも楽しくなる。ただ動かしているだけではつまらなくなるのです。即ち音楽を感じる様になる。この「のり」ある歩きから走る運動につなげればグランドでのプレイは身体表現として芸術になり得る。

 体を動かし演奏行為をする人達にも、この「のり」が出てくると舞台ががらりと変り、明るくなる。指導する立場の人の腕の振りもup指向のDOWNであれば、ただのDOWNとは違う。当然楽譜の読み方も変ってくる。作品の根本であるリズム形態の特徴と体におぼえ、支えある~ingを続けることになる。音の高低から感じるリズム感もあなどれない。リズム・響きの方向性、転調の意味等を頭でなく体で感じる様になる。さあスコアを口三味線で歌ってみましょう。そのリズム感がその人のリズム感なのです。指導者のリズム観はその環境支配するわけですから、私たちは毎日を新しい音楽を感じ生きつづけたいものです。正しい呼吸をマスターしつつ・・・。