自然に学ぶ

有賀 誠門

 音楽体験の中で気づいたことは、日常生活の運動リズムが無意識に音楽に表現されていることです。

 日本は「坐」の文化であり、無意識にその運動リズムが中心になっています。そこに西洋音楽が日本に取り入れられたのです。西洋音楽の特徴は「立」の文化であり、足の動きを中心としています。心の動きを足の表現に出したのです。したがって音楽もそれにふさわしい運動リズムをもっているわけです。ピアノを弾く時、椅子にかけるのですが、日本では椅子に坐った感覚を無意識に持っているため、作品のリズム運動解釈が体を通して感覚されていないのが現状のようです。

 ぜひともこの身体現象を頭で理解するのではなく、体で体感してほしいと思います。
 
 音楽の基礎は肉体です。自分のからだの秩序やシステムを体感することが最も大切なことです。何故なら、それが音楽であろうが何であろうと、全ての行為の基礎であり、本当のものの基礎であると思います。体について知らないと自分の事を知らないと同じで人の事もわからないとおもいます。

 人間の頭、目、腕、指、足、胴、穴、口、血管はまるい。まるい手で扱う様々な仕事の道具類の持つところはまるい。鍋、カマ、食器類も丸い。大根、人参、果物類もまるい。樹木もまるい。種もまるい。玉子もまるい。動物もまるい。毛もまるい。車輪もまるい。動力もまるい。ボールもまるい。地球もまるい。惑星もまるい。太陽もまるい。春夏秋冬もまるい。水は蒸発し上昇し、雨となり下降してくる。血も心臓機能を介して循環している。時計もまるい。このように全てが円運動、回転運動、循環運動をしているのです。

 人間、動物が出すガスを植物は取り入れ、酸素を排出しているので私達は生きつづけることができています。肉体と自然とのかかわりあいを忘れては行けません。息とは、心の自であり、自は自然であり、自と燃えているのです。忘は心を亡くす意であり、意は心の音です。態とは心の能力であり、思とは心の脳です。忙とは人間を亡くす。性とは人間として生きる。ゲーテ曰く「人間は自然の中に現われ、自然によって導かれ、自然と共に自然の創造衝動に囲繞(いじょう)されて生きている」と。

 人間は創造主の作り給うた自然を利用し楽器を創り音楽として自然に帰す。人間も自然の一部であり、「気」を借りて活かされているのです。人間の体は折りたたみ式に出来ています。息を「吐いた」状態、0(ゼロ)にした状態は頭を垂れ、しゃがんだ状態です。

 その 位置から「気」を吸いあげつつ立ちあがる、両手も気を取り入れつつ上にあがる。あがり切ったところで、吐き出す。丁度、空中で水泳(平泳ぎ)をしているのと同じです。これを座った状態でやってみると0(ゼロ)の状態は、平伏し頭を垂れた姿からはじまります。気を借りつつ上半身を立てます。順に立ち上がっていって下さい。
 両手を上げ「発(ホッ)」と気を吐き、とびあがり、両足を大地に立て、両手は天に両足は大地に根をはる。体全体が伸び切り、気で充満している状態です。上がった両手の気を出しながら、順にもとに戻す。もとの平伏し頭を垂れた姿は感謝への象徴的な形であり、礼となります。

 さて、立った状態で頭を垂れ、両手を合わせ、片足で立ち、もう一方の足のひざが上にある状態は、前が閉ざされた象徴的な形です。これを開いた状態、両手は左右に ← → 、頭も上に、目も開く、足も下に伸ばす。この状態がOpenです。

 胸骨は前を閉じるエネルギーですからそれを開くエネルギーにすることです。

 伸縮を繰り返してみて下さい。 この動きは波の動きと同じなのです。

 前進の時に上になっており、引く時には後進しているのがわかります。呼吸の運動と同じです。

 呼吸をすると、体は息を吸い込むことでふくらみます。吐くことでしぼみます。呼吸運動があらゆる行為の原点です。

 ドラミングする場合も基本的なリズムは心臓の鼓動が原点です。しかも鼓動は大地を蹴り上げるエネルギー運動と同じだと思います。ドキッ、ドキッ、ドキッ、・・・何と力強い生きた音楽でしょう。前に進むために左足を振り出す、腰を中心に反る運動を繰り返していくことになる。左、右、左、右、左、右、とすると左、右が交互に出てくる。言葉でドコダ、 ドコダ、・・・と体を Swingさせながら、Stepを踏みながら行動してみましょう。

 右手は大脳の左葉につながり、合理的な働きを行い、左手は大脳の右葉につながり抽象的な働きを行うといいます。体の内部の中心で交差しているのが何とも神秘的ではありませんか。ドラムは円筒形に皮を張っただけのもので音を出す。その狭い空間に様々な響きが限り無く詰まっている。その中から響きを引き出す。聴き出すのです。まさに太鼓は人間の象徴となり得るのです。