上の発想 下の発想に至る経過

有賀 誠門

 21歳の時から18年にわたり、ティンパニ演奏を通してオーケストラでの演奏活動をつづけてきたが、今から10年ほど前、西洋音楽と演奏する上で、どうも釈然としないものを感じたのである。一体なになのか? なにかが違う。いちがいには云えないが西洋人と日本人とでは、演奏上のリズム感と音色を左右する響きが違うことは確かだ。言葉では言えない。耳で聴き分ける以外、私には方法がない。

 こんな悩みをあるパーティーの席で小泉文夫氏にお話してみた。

「 — その疑問は、もっともなことです。農耕民族と騎馬民族の違いですよ — 」と。

 なるほど、ごく単純に考えて農耕民族は、鍬を大地に振りおろし、騎馬民族は、馬に乗り大地を馳ける。これは直感的だが、すでにリズム感の違いを表している。農耕民族は定住を主とし、騎馬民族は移動を主とする。

 人間が住んでいる所、いや住める所は、今のところ地球だけである。その地球を、さまざまな分け方もあろうが、寒帯、熱帯、温帯、乾燥地帯、多雨多湿地帯に分けると、日本は湿気の多い地帯に入る。しかも島国で、狭い国土を耕している。従来、稲作が主の農耕である。機械によらない稲作における運動は、すべて下への志向である。しかも身体は屈折した姿勢を強いられる。身体をすみやかに左右前後に移動することはほとんど行われない。

 稲作においては、灌漑、畔作り、収穫にいたるまで、集団の協力を得ることが絶対必要条件である。個人の理より、集団の理が優先する。したがって集団への帰属意識はきわめて強く、個性ある考えは異端視されることにもなる。そんな長年の体質が、日本の社会機構を形作っており、上から下へのエネルギーの強いタテ社会を構成している。村のメカニズムが、あらゆるところでまわっている。 「下」から「上」へのエネルギーは非常に弱い。また」横」のつながりも弱い。すなわち日本では各会社ごとに組合があり、職務別組合のつながりは弱いようである。専制国家でないにしても、今の日本の現状をみてみるならば、大企業は「殿様」で、人間は企業のために働いている。

 小泉氏とお話した丁度同じ頃、ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラが来日した。ティンパニ奏者ソール・グッドマン氏との会話の中で「- 我々は、どのような指揮者が来ようと我々の音楽、自分の音楽をやる ― 」といった言葉が印象に残っている。

 それは、その音楽が自分の生活に根ざしたものでなくてはならないと言うことである。音楽は本来日常生活と密接な関係にあるものである。祭りの時、狩猟の時、行進の時、祈りの時、葬儀の時、あるいは、酒場にて、踊りの時、嬉しい時、悲しい時、さまざまな状況を通して、人間の人生観、宇宙観、思想の世界へまで入って行くことになる。

 上記の意味合いから、西洋と日本の違った面をいましばらくとりあげ、またそれをめぐって発展していく考えを述べてみよう。

 日本家屋では正座が基本になっている。西洋では椅子にかけるのが基本であるからまず体の折り方が違う。正座してみると腰から背すじがピンとする。自然と腹に”気”が入る。正座した時の下半身の姿勢をして椅子にかけてみる。姿勢とは”勢いある姿”と書き、”気”が充実していることである。この”気”と”姿勢”がその人の意志を表し、リズム感に影響を与えるのではなかろうか。一音ー音に対する気配りは、日常のあらゆるもの、あるいは行動に対する”気配り”と同じである。「気」のつく語をあげてみると、それぞれにふさわしい日本語が数多く出てくる。「意」のつく語もまた同様である。

 日本は座る文化であり、西洋は立つ文化といえる。座ったままだと位置は固定されてしまう。立っている場合は足の移動が簡単である。日本では手技のものが多く、足技はそれほど多くない。手首、足首は非常に弱い。日本式生活の中において足を蹴りあげるといった筋肉運動はほとんどされることがない。その生活の中から華道、書道、茶道等の文化が生まれてきた。

 家に住むルールも違う。西洋では外と内はつながっており、日本では別である。「履物を玄関でぬぐ」ことをみてもわかる。この発想で公共の場である校舎等が建てられているのである。

 履物も日本では草履が主役であった。靴は西洋人が考え出したものである。今の日本人は靴の特徴を知らずして履いている。何のためにハイヒールを履くのか、意識されていないので、ひざが伸びきらず、履いている姿は全くアヒルのようだ。又若い青年に多くみられる現象であるが、運動靴のかかとの部分をつぶして、つっかけて歩いているのは、履物を間違えているのであろうか。

 草履の特徴は、自然なる大地に吸いつくことであり、したがって上半身が上に引きあげられる性質は感じられない。上半身を含め、体全体の志向は、「下」への志向になる。その場合、力学的には膝は幾分曲げているのが望ましい。相撲の仕切りを思えばよい。草履は植物を加工したものである。
 
 靴の楊合、自然を客観化している様な気がする。踵で大地を蹴ることによって直立する。蹴るために膝を前に上げ(踵を上にあげることになる)、思いきり蹴る、上半身は反動で上に伸びることになる。また膝も、足首も伸ばすことになる。来日したピッコロ座の演技をみたところセリフの転換の際、長靴による拍づけにもこれらがみられる。

 直立することは、重力の引く力に抵抗できるように常に緊張を強いられる。この不断の緊張の中で自己をしっかりと保持しなくてはならない。この姿勢は、体だけに関係したものでなく、人間が関係する諸々の世界にも言えるのである。自己独立することは自己の世界をもつことである。

 E. シュトラウスは、「直立姿勢をとることで、人間は周囲の世界の直接的な拘束性から解放されるのであり、そして上方への志向は同時に、この概念のもつ比喩的な意味をもそのうちに含んでいる。直立の姿勢は、大地から離れて、上方を指向する。それは、重力のもつ拘束的で、束縛的な諸力と反対の方向である。起立することによって、我々は物理的諸力の直接的な支配から自己を解放しようとしはじめるのである」と。また「直立した人間の周囲には多量の空間が存在する」と強調している。姿勢とは人格の態度をも意味することなのである。直立した人間とは自己確立したとも考えられる。

 R・シュタイナーも同様な考えを述べている。

 「普通の自然科学的思惟において区別されていない二つの力を区別し、第一の力は地球という中心の支配下にある。この場合の代表的な力は重力であり、重力は地上で実体を有する物すべてに影響を与える。重力は、中心的で求心的な力であり、地球の中心へ向かって作用する。
 第二の力は、地球外に発生源を持つ。この場合の力は周囲から、天球の周辺部から作用してくる。この力は第一の力とは逆の方向性をもっている。それは、地球の外へ、宇宙へ向かって作用する周辺的、遠心的な力である。」

 直立した姿勢だけが正しいのでなく、正座した姿勢からも身体的なものでなく、内的姿勢を操ることは十分にできるのである。座禅を組む、ヨガの姿勢などを例にあげられる。

歩き方は洋服と着物では全く逆である。

upward project

 字の書き方をみると縦と横がある。縦書きの湯合は、上から下へ、そして右から左へと移動させる。横書きの場合は、これとまったく逆の作業をすることになる。左から右へ(上→下)、行の移動は上から下へ(右→左)となる。

 のこぎりのひき方、手まねきの仕方も逆のようだ。箸とフォークとナイフ、料理の仕方、言語など数えきれない。それぞれが専門のジャンルを形成している。

 R. シュタイナーは、「母音と子音にはそれぞれ特徴があり、母音は魂の内部の感情的部分をより多く表しているのに対し、子音は形成的原理として作用する部分をより多く表している。情調を特に表現する抒情詩は母音的性格が強い。叙事詩では子音的要素が大きな役割を示す。」と述べている。言語のかかわり合いも発想に関係してくるようである。

 次に、「上」と「下」の現象をとりあげてみたい。

1. エントツから出る煙は、空間に立つエントツの接線から煙が立つ。エントツは動かないが、煙は立ちのぼる。動くのである。

2. トンネルから出る汽車、トンネルは静止しているが汽車はトンネルとの接線から動いて出る。

3. 紙に一本の線を描く。動き出す最初の点は動かない。線はその人の意志と意図によって動かされて行く。

4. 障子をあける。柱は動かない。障子は動かされ、柱と障子の距離は広がる。

5. 手を切る。傷口から血がにじむ。傷口は動かない。しかし血は、傷口からにじみ出てくる。

6. 雨が降る。地球の接線から蒸発し上昇する。

7. 植物は、地球の接線から上に、光に向かってのびる。根は地球の中心に向かって成長する。

8. 火は、上昇する。物質が酸素と化合して熱の発生を促進させ、これに光を伴って燃焼する。燃える接点から上に上昇する。

9. 闇に一つの光が誕生する。

10. 波の動き、寄せて、引く。

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11. 浮遊するために飛行機の翼も波と同じ原理が働いている。

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この現象は下の発想のリズム感にもあてはまる。

12. 声は、声帯を通して発せられる。

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弦楽器は、弓と弦の接した部分の上からと下からの圧力を解放させることによって音が鳴る。弓と楽器の動く方向は反対である。

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管楽器の場合も同じ原理が働く。

唇と楽器との接点の振動具合である。

打楽器も同様に鼓面とバチの接点に生命がある。バチを鼓面につけて、離す。打つというよりは接点を爆発させるといった方がわかりやすい。金管楽器もBLOWというよりEXP­LOSION である。

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13. 魚釣りで魚がかかった場合、釣糸を上にひきあげる。魚は下に逃げようとする。ひっかかった瞬間はまさに針を境にして反対運動が行われる。

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14. 電車、自動車に乗った場合、乗物は前に進む、線路、道路は動かない。しかし反対に後方に動いているように見える。ボートをこぐ時も同様である。

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15. 植物と人間(動物)の関係

 R・シュタイナーは次の様に非常にわかりやすく説明している。
 
 「人間は、空気中にある酸素を吸入し、炭酸ガスを出すことにより生きながらえている。食物を摂ることによってできた体内の炭素と酸素が化合することによって炭酸ガスが出る。植物は炭酸ガスを同化させ酸素を外に出す。そして炭酸ガスから分離した炭素で自分を作っている。人間は体内に摂取した炭素を燃させねばならない。運動することが、必要条件になるわけである。多量の酸素を供給せねばならない。植物がすてた酸素によって人間は生命を保つことができる。」

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16. 唇の運動、あける時にパッと音をさせてみる。とじる。この動きは実によく「上の発想」を暗示している。

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17. 椅子に座わっている状態から、立つ。尻を上唇とし、椅子を下唇と考える。

18. 地から足を離す、つける。離す、つける。この動作を同時に行う。

このように私にとって「接点」は命なのである。この接点より上に向かう力を持つものを上の発想、下に向かうものを下の発想としてみた。西洋音楽には、この上の発想がないならば、音は響かないし、先へと流れ発展する事がない。そこで、上の発想を養うための実際の訓練、考え方などを次に記してみた。

 体をある程度、自分の思うように動かす事ができるようにすると、上の発想、下の発想を使い分ける事ができる。そのための訓練を記してみた。

 正座した場合、腰がしっかりと伸びる。その状態で上半身を意識して立ってみよう。ヘソを中心にしておなかが上下に伸びる。正座した時の上半身を伸ばした状態で椅子にかける。

 そのとき、腰をしっかりと安定させることが重要。

Upward project

1. 椅子に座る、立つ、を何回も操り返す。頭が先に上にひっぱられるようにして立つこと。大腿筋と膝が最も重要な役割をする。

 右足で立ち、左膝を上に(水平に)あげる。左膝と左足首をつないだ線を右足と平行になるようにする。その際、左足首に力を入れないこと。膝から脱力させ、ぶらさがっている状態にする。この姿勢は、立った姿勢と、椅子にかけた姿勢を一緒にしたものである。この状態で左右の足を交互にしていくと、次のようになる。

Upward project
Upward project

 人間が45度傾斜の階段を登っている姿で、腰と膝がしっかりしておれば、頭は真っすぐ動くはずである。日本の人たちが階段を登る時、ひょっこ、ひょっこと、ひざでクッションをつけて登っているのは、支点がある一定のところに定まらないからだ。

 登る角度を45度ずらし、C の方向をBにおくと、走っている姿になる。すなわち。歩くこと、走ること、階段を登るには腰が定まっていなくてはならないことなのである。

 この動きを発展させるとサイクロイドという曲線の概念が出てくる。

Upward project

③を、次第に速くしていくと、④の運動を起こす。手の動きは 2 倍の速さになる。足は交互だが、手は両方をかねるからである。この練習でUp・Downの往復運動をマスターできる。足に1に対し、手は2倍の動きをする。この運動は鳩の歩く運動を見るとよくわかる。

 体の中から音楽を感じ、足と手を動かす。足ぶみしながら両手をもものところまでおろす。膝と、手が当たるようにする。ももと手のひらが当る時、足ぶみのウラ打ちになるのがわかる。足を交互に、すっと上げ下げすることにより、ウラ打ちを体の中に感じることができる。すると足でステップを踏むのが実に軽くなる。常に拍のウラを感じるからである。

 人間は直立したことによって、幾何学模様を描いている。指先、頭、足先、関節など、支点としてさまざまな形をとることができる。

 この支点こそが、その運動を支える最も大切な点なのである。この支点についても、姿勢と同じく、ただ物理的なことでなく、その人間を支える内面的な「支え」にも考えを及ぼすのである。自己を支えるもの、意識の覚醒にもこの運動が考えられる。

 常に人間は上方からのエネルギーによってひっぱられていると感じると、足は軽く地面についている、というだけのことになる。

 立った姿勢は、6つの形に考えられる。(図参照)

Upward project

 体の肩、ひじ、手首、腰、ひざを支点にした場合の人間の体を描いてみる。

 図でわかるように両腕を支える点、肩がいかに大切かがわかる。鎖骨と肩甲骨が最も大切である。足の場合は、腰が最も重要な位置をしめている。この人間のもつ幾何学的美と躍動を芸術にした代表的なものがバレエになる。

•肩を支点とした運動

 両手を伸ばし、A点からB点まで、の上下運動、指先で空間を意識する。

 A点を離れる”瞬間”に十分注意を払うこと。(図1)

 A 点から左右のB 点へ向かって手をひろげ伸ばし、A 点に戻す。A 点で止めるように注意する。(図2)

・肘を支点にした運動
 肩から肘への線を認識すること。上下運動と左右の開閉、常に空間に線を描くことを意識すること。特に左肘が定まりにくいので注意を払うこと。

 上図の曲線は円周上の定点Mがすべることなく、直線上を回転した時にできる曲線である。しかもこのサイクロイドの特性がおもしろい。

1. サイクロイドの一つのアーチの長さは、もとの円に外接する正方形の周に等しい。
2. サイクロイドの一つのアーチによってできる面積は、もとの円の面積の3倍になる。

3. 2点間の”最速降下線”はサイクロイドの弧になる。例えば下図のA、Bを同じ水平面上

にない2点とし、2つの球をAから同時に手放しBまでころがすとする。第1の球は平面にそってころがり、第2の球はサイクロイドをさかさにしたような形の面にそってころがる時、道のりは長く、途中に上がり坂があっても、第2の球の方が第1の球よりも速くBに到着する。
 
 歩くことが円運動に共通していることを知り、サイクロイド曲線というものを知ることができた。

 さて、歩く基本は、上半身と下半身の運動原理を知ることからはじまる。両手と両足が作り出すリズム運動を観察してみよう。
 左ひざを上方に蹴りあげる。上で停止させる。反動で左手のひじは後方に同量のエネルギーを出す。右手は前方に出る。右足で蹴ると、これと反対の運動が行われる。後方に蹴れば、逆の運動がなされる。

 身体という一本の棒体を、ヘソを中心にしてねじったことになる。手ぬぐいをしぼるのと同じことである。この際注意することは、地面から足を離す瞬間とB点で停止するときである。

 
 A点からB点の長さを音符の長さとする。A点を離れると同時に音が出る。B点で止まる。反対にB点からA点の場合、B点を離れた時に音が出てA点で止まる。これを交互にしますと、足の離着が同時に行われ、移動する時間と停止する時間が、同じ長さになる。

 足をあげると、筋肉は伸縮が同時に行われている。そこで動作で、 ”縮む”、 ”伸る”をやってみる。手と手を合わせる。左膝を上にあげる。矢印で表わすと次のようになる。

•手首を支点とした運動
肩の支点がしっかりとセットされていることが大切である。腕を肩の高さにおき、手首を支点にして手先をすみやかに上下、左右に動かす。手首を方向舵の様に動かすこと。

 これらの運動はすべて瞬発力を養う。常に動く瞬間と停る瞬間を意識していることが大切である。
 蹴る(離す)運動をゆっくりやると、次のように表わすことができる。1を離れ、2の位置に着く (1のウラにあたる)、2を離れ、3の位置につく(2のウラに当たる)・・・・・・。これを連続させると常に上への力が働くようになる。

 あと打ちが気持ちよく入るためには、ぴったりした位置に入らなくてはならない。グラフに表すと

となるようである。(東北学院大学工学部・鈴木孝宜氏を煩わしPCを使用して作っていただいた式である)

 はじかれた音(解放された音)は全方位性をもっています。第1音が決められ、前に送られる。常に接点より、(この接点が下がっても上への上昇性をもっている)上にのぼろうとする、浮遊しようとするエネルギーが生命力を与えてくれる。

 上昇するエネルギー 、あるいは浮く現象を第1象現に表わし、下方の沈む現象を第4象現に表すことができるのではないかと考える。(下図)

 リズム感には方向性、躍動性の運動がみられるわけであるが、その運動が行われる”場”のことも考えなくてはならない。空間を意識すること。響鳴体である自己が今いる位置を認識するとなると、空間に対する認識が非常に大切なことになる。空間の概念―これまた上の発想に大いに関係してくる。
 
 空間に時を刻む。
  
 上の発想とリズム感をベクトルで表すことも可能の様な気がする。(上図)
 
 打楽器演奏の場合、上からの運動が多い。打つというより”長さ”(出発して停止までの)
を意識することが、かなりむずかしい、ほとんどの人が”停止”させることができない。停止線を自ら決めることが、接点を意識することになる。すなわち、”0”の位置である。
この”0”点においていかなる量のものを与えるか、がその人のセンスになる。

 この”0”点に対して上からの運動。( Down-Up)

下からの運動 (Up-Down)

 この、時間の方向に向って、常に先に離れようとする力が働くことが、時間の動きをとめないことになる。常に時間と、平行するか、それ以上のエネルギーをもつことがあかるい時間を作ることになる。躍動させることになる。
 
 打楽器類を演奏する場合、”こする”、”振る”、”打つ”等、様々な動作が組込まれる。その中でも”打つ”という行為が主とした表現手段である。打つ際の手の動きと意識を分析してみる。

I. 多く見られる例(ゆっくりと打つ)

 上の表で示されるスティックの動きの中で奏者が意識を持つのはAからBにおろす時だけで、Cの高さは意識されず、しかもB – C – A への動きも殆んど意識されない。

・A から B への動きは ↓Down である。
・BからC への動きは 、スティックのはずみである。
・DからA への動きは 、Aから Bへ行く Down の為の Up である。
・振動はB 以降であるからA →B が意識されているだけでは不十分である。
・無意識にA への Up が行われるため、Aの高さが奏者に意識されず、したがって、打っ                  
 た時にどの様な音が出るかわからない。

第1 図にそっくりな運動が、日本の手拍子や、力士のしこをふむ運動にみられる。

 Bへの指向がかなり強く、離れる際のC 点は実にあいまいで、不明確な点になっている。

 A からBへの動きを”沈む”と言うならば、意識は当然、”沈む”ということだけになる。

II. 少し速めに連続して打つ

・Down と Up の動きは対等なものとなる。
・Aは、発音点Bの ”ウラ”である。
・スティックの動きはテンポを決めている、即ち、テンポに合った動きをしていることになる。
・この場合A→B の Down は、B→Aの Up の為にある行為と考えられる。
・Aが意識されやすく、テンボがより正確になる。

III. 少しゆっくりと打つ。

・Bから A1 への時間は B1、B2 間の1/ 4 である。
・Down と Up の両方で意識が得られ、A1がテンポの一部となる。これはテンポを支える為の鍵になる。
 これを手だけの運動にせずに、体の中に作り出すことが必要である。
 いい例が、水泳で使われる"浮き”である。手、足を動かさずに、水面に浮く方法であるが、出来るだけ、肺の中の酸素量を多く保持するために、”はく”量を僅かにするのである。

の様な図になる。

 音の強さ、音色、音量、テンポ等を作り出すスティックの動きは完全に意識下になくてはならない。
 
 図 II を Down と Up に分けてみる

・Up のところは発音するところとなっている。
・Down の面積は Up の面積と等しい。

 図 I を同じ様に区分してみる。

・Down の面積が広い。
・Up は Down の為であり、無意識的であるから” Up” としての意味をもたない。

図 I の反対が図IIIとなる。

図の様に意識されたUp の中に Down がみられる。発音するところは Up の中にある。これこそが生命ある音であり、そこに躍動するリズムが生まれる。

 テンボ感をつけるのも上の発想に役立つ。 ”歩く”ことを訓練し、膝が上がるのと、肘がすっと、瞬間に動くことができるようになると、あと打ちを感じることができることは先程説明した。マーチは足を移動させる為の音楽である。

 マーチの速さは 、およそ♩=116~120 である。120であと打ちを感じて歩くと楽しくなる。120 のテンボが確実にとれると、60は簡単である。2倍のおそさにすればよいからである。
 
 60は 1秒である。この60を基準にして、2倍、3倍、4倍としてみる。このような訓練によって確実にカウントできるようにする。
 
 1秒に10をカウントできるようにする。あるいは右手だけで 5をカウントできるようにする。そして交互に指で弾いてみる。スボーツに使われる、1秒の1/10 までを体の中に作ることが可能。何秒いくつが大体判断できる。

両手で3角形を空中に描く(1 、2、3 と大きい声でカウントする)。動く瞬間に注意を要す。かなり指先に神経を集中させる必要がある。

 多くの人が、次のように感じている。2 拍目の頭が非常に不安定である。(図1)

 図2の様にポイントをチェックすることである。

3. どちらかを半拍ずらしてみる。

4. 両方を2倍の速度で書く。

5. 三角形1ケに対して 、2倍の物を2個書く。

6. 左右交代させる。

7. 一回ずつ交代で書く。

8. 相手がいたら向かい合ってやってみる。

 

 以下同様な方法で続けてみる。

 1. 大三角形1 に対し小三角形 3 つ

 1. 大三角形 1 に対し小三角形 4 つ

空中で書くのはかなりむずかしいので、黒板を使って書いてみるのも1つの方法です。

奇数を2 で割る方法
3、5、7、という奇数を正確に割るには、奇数を偶数にすることである。 2 倍にすればいいわけである。

むすび

このような上の発想と下の発想の概念を作ることができるようになったのは、

1. N 響の北米楽旅におけるアメリカの友人の発言「変わったチャイコフスキーだね」・・・
2. 指揮者W・サヴァリッシュ氏の表現方法
3. 風土からくる相異
4. ストラスブール打楽器合奏団の”響”と合奏法
5. L・バーンスタイン氏の指揮法
6. チェリビダケ氏の指揮法と考え方
7. 冬季オリンピック、インスブルックよりのTV中継「行進の足もと」
8. ティンパニスト・ヒンガー氏の演奏法と考え方
9. ニュートンの法則
10. シュツットガルトオーケストラ協演による
11. なぜ四分音符というか……。
12. 小節線をはずす
13. 音は何から出るか
14. 日常生活のちょっとした動き
15. 自然と人間の関係
16. 筋肉運動と神経集中
17. 意識と精神
18. R. シュタイナーの人智学
19. 動植物の動き
 
 等々、あらゆることを観察した結果である。
 
 ある物と物との接点において、あるものとあるものを介して変容させる。いかに変容させるかが、人間に課されたことであり、またできることだと思う。石を割る、石を彫る、野菜を切る、魚を切る、動植物を加工して布を作る。手を介して作る。音楽をするために人間は自然を利用して楽器を作った、植物から弦楽器、鉱物から金管楽器、あらゆるものを使ってリズムを作り出す。音を上から下にすてるのでなく、下から上にひろう。音はみ見えない、どのような音を、空間からひろい出すか。その空間は”気体”というもので包まれている。流れている。

 肉体の外側にある感覚領域が、感じつつ意志する作用、意志しつつ感じる作用、この感受する作用も、人間の内意と外界との接点、接線、で感覚されることである。

 上の発想のリズム観をさらに発展させ、感覚と意識、気とのかかり具合、など精神活動に応用することができる。

 常に新しい瞬間に身を入れ、今あるその時を過去に押しやる。その方法がリズム感につながる。 ”現在は常に新しい”瞬間への意志こそが人間肉体と精神を活性化する。
 常に自分の置く位置を変えて思考することが、精神を新しくさせる。(図1)
 とどこおるリズム感というのは、駆動力に乏しい。 (図2)

参考文献

 

書名 著者 訳者 出版社
風土 和辻哲郎 岩波書店
タテ社会の人間関係 中根千枝 講談社
閣された言語日本語の世界 鈴木孝夫 新潮社
日本再発見 山田宗睦 三一書房
帰属心と疎外感 中西信男 日経新書

人と人との間 木村 敏 弘文堂
一般人間学 ルドルフ・シュタイナー 新田義之 人智学出版
ルドルフ・シュタイナー F・W・ツアルマンス・ファン・エミシューベン 伊藤勉・中村康二 人智学出版
ルドルフ・シュタイナー研究II ルドルフ・シュタイナー研究所
身体の現象学 石福恒雄 金剛出版
心身医学入門 メダルト・ボス 三好郁男 みすず書房
脳を考える 時実利彦 日経新聞社
錬金術 S・クロソスキー・デ・ロラ 種村季弘 平凡社
認識の風景 沢田允茂 岩波書店
意識 アンリ・エー 大橋博司 みすず書房
知覚の現象学 メルロ・ポンティ 竹内芳郎 小木貞孝 みすず書房
ユングの世界 E.A.ベンネット 萩尾重樹 川島書店
人間はどこからきたのか マルコム・ロス・マクドナルド 巻 正平 グラフィック
人間と空間 O・F・ボルノー 大塚恵一 池川健司 中村浩平 せりか書房
かけがえのない地球 B ・ウォード L ・デュボス 日本総会出版
人とからだ 小川鼎三 学研
基礎運動学 中村隆一・賓藤宏 医歯薬出版
人間の行動学 デズモンド・モリス 藤田統 小学館
現代思想パスカル9-1977 青土社
哲学講義 シモーヌ・ヴェーユ 渡辺一民 川村孝則 人文書院
瞬間と持続 バ・シュラール 掛下栄一郎 紀伊國屋書店
芸術の歴史 H・ヴァンルーン 玉城肇 平凡社
音楽美の構造 渡辺護 音楽之友社
音楽生理学 蓑島高 音楽之友社
ふしぎな数学 ノースロップ 松井政太郎 みすず書房
水の波 N・F・バーバー 高梁毅 岡山政司 共立出版

 

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