パーカッションのルネサンス 27

パーカッションのルネサンス
打楽器奏者の目から見た今日の音楽と音楽教育 —— 連載第27回
• 「ドミナント感覚」を体の中に!

有賀誠門(打楽器奏者)

ハハー(吐・吸)・・・、ハハー(吐・吸)・・・、天空を見上げ(立った状態で)口で息をすることができるようになりましたか。

胸式でやらないで下さい。肩に力が入ってしまいます。上体は虚の状態にし、腹が上体を支えます。下体は腰が支えます。足の親指は非常に重要な役割を担います。吸う感覚で声を出すことを前回述べました。どんな現象かわかりやすいように、次のことを思い浮べて下さい。

私たちが水の中に顔をつけられると、「やめてくれ!」とわめくと思います。吐いてしまったら水の中につけられてしまいます。恐らくこの時の現象と似ているのではないかと思うのですが?吸いあげる(下からとめどなくエネルギーを)感覚で属音(Dominamt)から主音(Tonica)への感覚をおぼえて下さい。

 属音の発声ですが何か下から突き上げられたfeelingで行なって下さい。そして属音を主音の位置に捧げる(置く)感覚です(譜例)。体中が静かに振動しつづけている感覚です。大きなハミングができるようになります。

 頭を垂れずに下から上に差し上げる、差し出す。「神への祈り」とも言えます。動作は、両手を拡げ全身からの表現となります。

 この方法を試みたところ、4人の学生が前と全然違ってしまったのには驚きました。

 上記の感覚でティンパニのロール(トレモロ)をやらせたところ、マレット(撥)の持ち方も教えないのにびっくりするほどのsoundを出すことができるようになり、PPが実に美しいのです。マーラー作曲「交響曲第1番」第3楽章の冒頭のソロ、コントラバスとの二重奏のところなど文句がつけられないほど自然に歌えるようになりました。さらにおどろいたことには、ある打楽器だけのアンサンブル曲を練習した時、私が思っている拍子感と違うので、それぞれの学生に「この作品を演奏するのに全体をどのようなテンポ感、ビート感でやったらいいか、撥を打ってみて下さい」と言ったところ、私の生徒が実に見事に表現してくれました。「以前と同じか」と聞いてみると「全然違います、こうやってみたいという気持ちになります」と答えてくれました。何がそうさせるのか不思議です。

 このような試みをしているとき、偶然知った事項がありました。

 数学者であり、指揮者、音楽評論家のエルネスト・アンセルメが主張している「人間の意識における音楽の基礎」(1961年)の内容でした。目からうろこが落ちるとはこのことかと。平凡社『音楽大事典I』「アンセルメ」の項に次のようにしるされています。

 「彼は音楽の意識を聴意識conscience auditive、音楽的意識conscience rnusicale、人間的意識conscience humaine の三つの段階に分け、その解釈をとおして音楽聴の普遍的な公理を求めようとした。

 彼は振動数比と意識現象である音程の間の転換作用をロガリズム的知覚と名づけ、その底をドミナントであるとする。ゆえにドミナントは人間の本来的にもつものとされ、そこから調性および調性音楽の普遍的根拠が説かれる。

 彼によると真の音楽体験は人間の実存的投企であり、同時に倫理的領域にかかわり、さらに最終的には神のロゴスを目指す行為であるとされる。

 彼は、調性は音楽的感情の弁証法的法則であるという見地から、12音音楽やストラヴィンスキーなどの現代作品の傾向に対して、音楽の有機的実体と人間の深い倫理の喪失を説き、音楽の本質に関する正しい理解を行なうよう警告を発している。」(藤田由之・寺田由美子)

 クラシック音楽を演奏するのにドミナントがいかに重要な役割を果たしているものか、と認識を新たにしました。

 この感覚が体にしみこんできますと、転調というものが実に意味をもってきます。ティンパニはドミナント、トニカを司ります。まさに祭司に等しいとも言えましょう。

 現代作品を多く演奏してきた私自身も最近、12音音楽も音と音の関係を有機的に読むようにし、ビート感をもって演奏するようにできるだけ努めれば、実に知的冒険だと思うようになっています。そのためには体の中にいつしかドミナント感覚が養われていることが大切なことです。

 常に下から吸い上げ、上で吐く、両手を使いながら表現するのです。そう、常に空中を泳いでいる感覚です。手を上にあげていくのは息を吸いあげていく行為、そうすれば腰も安定してきます。足も安定してきます。

 より体を強く姿勢をよくしたい人に次の本をご紹介します。 吉田信恭監修『肥田式簡易強健術』壮神社

(1995.1)